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※「通称」町名はありますが、甲乙丙の「所属」で住所が表されている街です。 最盛期には幾つかあったのかも知れませんが(点在する街角地図では確認できません)、少なくとも筑西市(合併前は下館市)最後の銭湯のようです。 JR東日本水戸線&真岡鉄道真岡線&関東鉄道常総線の3線が乗り入れる下館駅北口に降り立つと、大変残念ながら、ありがちな田舎の駅前再開発の失敗の結果でしょうが、商業テナントが逃げ去って市役所関連の事務所のみが残った駅前のビル(下館スピカ)とその横から真っ直ぐ北方に延びる空き地ばかりが目に付く立派な大通りがあります。 「せっかくの歴史ある街並みだったようなのに残念だなぁ(脇道などには名もない歴史的建造物が散在しています)」などと考えつつ、その大通りに沿って600m程進むとしもだて美術館(建物名はアルテリオ)があり、くだんの銭湯はその裏手(&羽黒神社の麓)になります。 周囲が高い建物ではないので、「いい色が着いたコンクリート製の管を重ねて金属枠で囲った煙突(上部が少し壊れています)」がすぐに見えます。 看板の立った正面に回ると、昭和中期の?簡素な造りの建物で(脇に自宅の玄関があります)、唐破風(的な屋根飾り?)の下に男女別々の玄関があり、元は紫?のやや色褪せた屋号入りオリジナル暖簾が掛けられ、引き戸の硝子にも屋号が入っています。中央の「入浴は健康の素」などと書かれた飾り看板が洒落ています。 玄関は狭い横長で、木製の簀の子が敷かれ、斜め木板鍵(タイヨー)の下足箱があり(木板には手書きの屋号)、さらに引き戸を開けると脱衣所です。 下足棚の付いた低くシンプルな木製の番台が玄関から脱衣所に跨がって造られています(番の方は座っていません)。 コンパクトな脱衣所は、乳白色のペンキで塗られた格子状の木製天井で、木床は歴史が傾きを付けています。 籐製の籠の他、小さいながらも脱衣ロッカーが使われており、その後方の脱衣所外側壁には「かつて使われていた壁埋め込み型の木製ロッカー(番号が直書き&金具のみで鍵がない)」もあります。 フジ自動マッサージ機とやや新しめのもう一台のマッサージ機、なぜか木製の古い身長計もあります。 外側にはほんの小さな庭があり、木製の縁側の向こうには銀杏の木がそっと生えています。 トイレは水洗化されています。 浴室は白く塗られた金属製の山型天井で、中央にレトロな円形の電灯があり、タイルは白系正方形他でシンプルです。 正面壁上部に小さめの湯気抜き窓があります。 事前の情報通り、浴槽は縦割り瓢箪型の2槽式で、内側浅風呂(本当に浅い!)には何もなく、外側深風呂はバイブラ付き、背面の隔壁近くには「偽木が支え風になった」エスロン管そのままの湯口、隔壁から両方に向いた水カランは全く普通の蛇口です(交換した?)。浴槽背面は岩状タイル装飾で、内側と外側の一部が岩を模した飾りになっています。本当に「古河浴場(古河市東1丁目11-3)」に似ています。 <参照> 茨城県古河市 古河浴場 http://sentotanbonin.kai-seki.net/Entry/46/ カランは内側・外側ともに5つずつですが(押し手はハンドルタイプ)、固定シャワーがどちらも1つおきに3つずつしかありません。鏡の下部に比較的新しい広告が1つあります。 これまた事前の情報通り、黄色のケロリン(と黄色無地のケロリン型)の湯桶と緑のM字椅子(浴室中央に積むのがルールらしい)が使われています。 やや雑多な物が置かれ、常連専用的雰囲気の銭湯ですが、銭湯愛好家のチャレンジを心よりお待ちしております。 ただし、瓶には茨城県の富谷牛乳やトモエ乳業の名が入っており、並んでいたのはトモエ乳業製造&富谷牛乳販売の「特別濃厚4.5」でしたので、それぞれが製造販売で協力関係にあるようです。 側面のイラストがかわいらしい空瓶と(飲んじゃいました!)紙蓋の写真をどうぞ! <参照> 栃木乳業株式会社 http://www.tochigimilk.co.jp/ 富谷牛乳株式会社 http://www.tomiyamilk.co.jp/index.htm トモエ乳業株式会社 http://www.tomoemilk.jp/ 参考HP(よい内容です) めっかった群馬 とっておき探訪 http://www.mitsuketa-g.com/tanbou/4234.html 注)木&日が定休のようです。 追記 茨城県で残すは「日立市の3軒?」と思われます。近いうちに訪れてみたいと思います。 |
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銭湯お遍路211軒目、は・じ・め・て・の・目黒!(某消費者金融のCM風に!)です。 東急東横線祐天寺駅が最寄りのようですが、東京メトロ日比谷線(東武伊勢崎線直通)の南西端でもある中目黒駅から、目黒銀座商店街さらには目黒川の支流だった蛇崩川(じゃくずれがわ)を暗渠化してできた緑道あたりを西方にそぞろ歩くのも一興でしょう。 玄関に千鳥破風を冠した宮造り銭湯の正面フロント改造版です。男女の庭から生えた立派な松と槇が歴史を物語ります。現在は2代目主人のようですが、昭和35年に引き継いでおられるので、建物や木々はそれ以前のもののようです。後方には銀色に塗られたコンクリート製円筒型煙突が聳え立ちます。 斜め木板鍵の下足箱があり、「どうする?東京(TOKYO MX)」と「銭湯ランナー応援(目黒区浴場組合)」のポスターの貼られた玄関から入ると、フロントのご主人の第1声は、「ようこそ!財政再建団体の目黒区の銭湯へ!」でした。「銭湯振興というか高齢者福祉としての助成制度などの存続も難しそう」とのことです。 「(男湯は)こっちですね」と入ろうとすると、「こっち(女湯)でもいいぞ・・・いや、捕まっちまうわな」とは、なかなか洒落の効いたご主人です。 脱衣所は木の温もりを生かしつつ控えめな改修がされており(男湯側のみ1mほど外側に増築された模様)、白壁&木調の折上げ格天井&木床が立派で(3枚羽根の天井扇の羽根は外されています)、外側壁の脱衣ロッカーの他に籐製の脱衣籠が使われています。木製の丸テーブルは何やら古く、外側壁の脱衣ロッカーの上には、今は使われなくなった籐製のおむつ換えの台が載っています。 手前側に岩がバックになった小さな庭の名残があり、正面から見えた木が木製の縁側を貫いている様子を見ることができます。古い番台用の踏み台も置かれています。 浴室もタイルを含めて改修されておりますが、東京銭湯の基本はそのままです。脱衣所同様に男湯側のみ外側に1mほど増築された模様です。 浴槽は基本的な2槽式のまま(内側深風呂にバブル&外側浅風呂にジェット2基)、タイルが新しくなっています(底の青系のマーブルタイルが素晴らしい)。 カランは、内側7つと5つ&5つの島が新しめのハンドルタイプの押し手&固定シャワーで(島の手前1つずつにはない)、外側6つは改修時に混合水栓に変更されたようです(手前2つの固定シャワーが高く設置されて立ちシャワーのようになっています)。 浴槽背面にかなり状態の良い章仙作の鈴栄堂九谷のタイル絵「鯉の池&滝登り」があります。 ペンキ絵は中島盛夫氏&田中みずき氏(&町田忍氏・・・書かれたというバスは女湯に?)によるもので夏富士です(2010.8.2画)。外側枠にも描かれているのは心意気でしょうか。 <参照> 銭湯ペンキ絵師見習い日記 http://mizu111.blog40.fc2.com/ こだわりは木製の椅子(一部にグレーのコの字椅子)と同じく木製の湯桶(一部に黄色無地のケロリン型湯桶)です。「カコーン」という響がなんとも言えません。「東陽町(昔の木場)にあった池田木工さんも辞めちゃったからねぇ。」・・・とはご主人の談。しっかりした造りの木製の椅子と桶は手に入りにくくなっているそうです。 有名な縁起物の画題ですが、一富士、二鷹・・・で、三なすびは「鈴栄堂九谷」の落款という洒落物です。 「町場の大工は価値がわかんなくて、改築時に(このタイル絵を)壊そうとしやがんの」・・・とのこと。 話し好きのご主人で、近くの銭湯のことや銭湯経営の苦労話など、いろいろなことを伺いました。 ついでに今や横浜への玄関口でもある中目黒駅付近の居酒屋で一杯!もオツです。 心意気の感じられる親父?のいる銭湯にぜひお越し下さい。 追記1 お持ちの方は、「1010 90」の「東京銭湯 ちょいとひとっぷろ P.P.38-39」をご参照ください(書いてから気付きましたが一部の記述が似ていました・・・同じように感じるものなんですねぇ)。 追記2 椅子と湯桶はきちんと積まれており、常連客もきちんと戻していました。電車のホームの自販機の陰になったベンチで喫煙し(当然ながら終日禁煙)、灰をそこら中に落としまくり、電車が来たら、男は咥え煙草で、女は火の点いたままの煙草をホームに放り出して飛び乗る・・・という信じがたい頭の壊れた「馬鹿者(≠若者)カップル・・・いわゆるバカップル」を見た日だっただけに、逆に衝撃的でした。 |
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屋号入りの金属製円筒型細煙突は錆び付きつつありますが、近代的な建物と看板はそのまま残っています。 大変残念ながら訪問したことがありませんが、昭和61年(1986年)創業の「お客さんに愛されるように」と経営者夫婦が相談して考え出した屋号の銭湯で(浴室の壁にもタイルで大きく描かれていた)、主浴槽や座風呂など5つの浴槽とスチームサウナがあり、薪で沸かしており、比較的ロビーが広かったようです。 <参考> 北海道新聞旭川支社 湯快だな(2004.10.20) http://asahikawa.hokkaido-np.co.jp/yukai/20041020.html ある意味で「名銭湯」の1つでしたが、静かにゆっくりと記憶の彼方に向かっています。 1つでも多くの銭湯が営業を続けられることを心より願って止みません。 合掌! |
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