既に一昨日(2011.8.20)になりましたが、鯉幟(こいのぼり)生産量日本一を誇る加須(かぞ)市に唯一残る(往時は7軒あったとのこと)戦前創業の「埼玉県行田支部(加須市)706 ときわ湯(加須市中央1-11-8)」を訪れました。
埼玉県19軒目です。
東武伊勢崎線加須駅北口から延びる駅通り商店街を300m程北進し(加須センターホテルを越えます)、脇道を左折すると「
温泉マークと
屋号の書かれた看板」と「コンクリート製の管を重ねて金属枠で囲った煙突(いい色が着いています)」が見えてきます。
「健康と美容にオソン温泉 ときわ湯-原文まま-」と辛うじて判読できる古いトタン製の看板(他)と民家の間の「波形トタン屋根で覆われた砂利道」の奥に、昭和38年築の宮造りに準じた瓦屋根の建物があります(屋根には東日本大震災による被害があるようです)。
民家の陰に「上部の欄間や左右のタイル壁もそのままの玄関」があり(木札鍵の下足箱には緑の壁紙が貼られています)、かなり壊れていますが上方の木製の飾り文字の屋号がなかなか洒落ています(トタン屋根があるため遠くからでないと見えません)。
東京銭湯形式の内部は、浴室入口の戸と湯気抜きの窓がアルミサッシになっている以外、大きな直しがありません。
脱衣所は古い木床&白壁&木調の折上げ格天井で(男女で多少違う羽根の短い3枚羽根の天井扇が稼働しています)、梯子で上がる脇が雲形飾りの木製の番台があり(ご主人は座っていません)、その背面は小さな透かし窓になっており、上方には福助の大入りの額が飾られています。
下足箱同様に緑の壁紙が貼られた主にさくらのアルミ板鍵の脱衣ロッカーと籐製の籠が使われています。
残念ながら、貫目表示の体重計は壊れており、ぶら下がり健康器は物掛け代わりになり、フジ自動マッサージ機は動くかどうかわかりません。
レトロな小型冷蔵ボックスが2つ使われています。
トイレ(敢えて詳細は伏しますが当然に完全レトロ!)の入口上方に掲示された額入りの「入浴の注意とエチケット!」は新築当時のもので(昭和38年製)、昭和中期の漫画風のイラストがあり、下部の広告の電話番号は驚きの「(カゾ)245番」です。
緑色の大型の業務用換気扇?が扇風機代わりです。
手前外側には木製の縁側がありますが、アプローチである「波形トタン屋根で覆われた砂利道」からかなり見え見えなのはご愛敬でしょう。
浴室は、かなり塗りの傷んだ白い天井で(湯気抜きの窓は手前側の3連のみ!)、タイルはあちらこちらが継ぎ接ぎに改修され、釜場への入口がモザイクタイルで周囲が装飾された木製です(半分開いているので釜場の中が見えちゃってます)。
使い込まれた湯揉み板と同じく使い込まれた管理用?の木製の湯桶が1つ置いてあります。
浴槽は奥横配置の同サイズ2槽式で(内側深風呂&外側浅風呂)、タイルはあちらこちらが継ぎ接ぎに改修され(ちょっと諦めた感も漂います)、外側浅風呂の1本ジェット3基は当然のように稼働していません。両浴槽に向いた中隔にある2つの水カランは帽子?のマークのついた11/4の真鍮製です(見たことがありません)。
内側5つ(鏡があります/固定シャワーはありますが止まっています-不揃いな一番手前側は先が無くなったのか蛇口化しています)、4つ&4つの島(鏡もシャワーもありません)、外側6つ(鏡のみあります)の配置のカランの押し手は新旧様々な温泉マークが主流で、何と内側の1つは驚きの「容器の蓋で代用」、島の1つは修理さえ諦めています。外側手前から2つめに「
金属製の湯」が1つ残っているのは感動!です。
浴槽背面には「7匹の金魚が泳ぐ水底」、浴室中隔壁には「犬吠埼に昇る朝日?」のモザイクタイル絵があります。
驚愕のペンキ絵は「西伊豆風の構図」ですが、まるで水彩画のような色使いで(かなり薄いタッチです)、10年程前に「お父さんが絵描きを目指していたペンキ屋さんが有料で描いたもの」とのことです(是非その目でご確認を!)。
「続けられるのも、あと4・5年程度かな」とご主人が寂しく笑いました(以上、伝聞情報はご主人談)。
玄関前・縁側の外・脱衣所さらには浴室などが種々雑多な物で溢れており、常連専用といった趣です。地方銭湯独特の風情の漂う、いわゆる「上級者向きの銭湯」です。チャレンジし甲斐がありますよ。是非!!!
[2回]
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