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そんな訳で、途中にあった廃業銭湯の現況です。
☆江戸川47 大星湯(一之江4-17-16) 都営新宿線一之江駅の北方700m程の環七通りからやや西に入った住宅地にありました。ネットに散在する情報を総合すると、コンクリート建築のフロント式近代銭湯で、浴槽背面に風景画のタイル絵があり、相撲取りも訪れていたようです。月極駐車場の名前と賃貸マンションの名前(なんとこちらはフランス語化!)に面影を留めていました。 在りし日の銭湯を想いつつ合掌! PR |
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※中川(旧中川)の平井の渡しから四股(よつまた/現在の荒川と中川の間の土手のあたりにあった)で元佐倉道(旧千葉街道)と交差して、東小松川村、西一之江村、東一之江村を経て旧江戸川の今井の渡し(対岸は千葉県)に達する道筋。江戸時代初期には成立していたが起源は不明。江戸中期以降は庶民の成田山参詣路の1つでもあった。都電やトロリーバスが走っていた時期もあります(追記参照)。 銭湯お遍路248軒目です。 最寄りは都営新宿線瑞江駅で、その北西方800m程の旧椿村の南西の集落に位置する鄙びた小さな商店街の中にあります。 屋号の由来となった町名「春江町」が、旧椿村の椿の旁と一之江の江をとって1938年(昭和13年)に命名されていますので、少なくとも創業はその後と考えられます。 二重千鳥破風の宮造り銭湯の正面フロント改造版で、向かって左後側にある小さな児童遊園(昔からのお社?が真ん中にある)から側面が観察できます。クリーンエネルギー化のため、後方のコンクリート製円筒型煙突は撤去され、銀色の低い金属性円筒型煙突になっています。 数段上がる形の玄関では木板鍵の横向きタイプ松竹錠の下足ロッカーが使われています。 自動ドアを開けて入るとフロントと一部に空の模様の壁紙が使われた休憩スペースで、縁起物の大熊手、ご主人及び先代の表彰状が多数飾られています。大型薄型テレビがありますが、入浴前はフランス語の映画、入浴後はプロ麻雀・・・というなかなか興味深い番組選択でした(ご主人の趣味?常連の趣味?)。 「釣りロマンを求めて(テレビ東京系/毎週土曜日 夕方6時~6時30分)」のCMの撮影を記念する写真額も飾られています(平成19年1月6日から放映されました)。 木床&白壁&格天井の昔ながらの脱衣所は、梁や昔風の模様ガラス入りの建具も木製のままで、TOKYO MOMのアルミ板鍵の脱衣ロッカー及び年季の入った籐製の脱衣籠が使われ、屋号入りの贈られたTANAKAの体重計が置かれています。 手前側から外側にある庭の木製縁側(白く丸い陶製手洗いあり)には、常連専用的銭湯?のため、かつては使われていた「スカッと飲もう Meiji スカット オレンジ グレープ レモン」のベンチを含む雑多なもので溢れていますが、これも味!で逆になにやら落ち着きます。 浴室は白が主体の大橋ブルーのきれいな天井で、下部のタイルは新しく、浴槽背面には「湖岸の古城」の小さな洋風タイル絵が3つ(同じもの)、浴室中隔壁には「女性と赤い車」の洋風大判タイル絵が3つ(同じもの)あります。 浴槽は通常配置の2槽式で、内側深浴槽は座風呂2基になっており、外側浅浴槽にはバイブラがあります。内側手前には立ちシャワーもあります。 カランは固定シャワー付きの銀色ハンドルタイプの押し手で、内側5つ、4つ&4つの島、外側5つの配置です。 黄色のケロリンの湯桶が使われています。 勿体を付けて最後に書きますが、特筆すべきはペンキ絵です。やや傷みがありますが故早川利光氏による上州 老神(男湯)&信州(女湯)で、ななな…なんと浴室入口上部壁…つまり浴槽正面位置に「雄大な富士山」が描かれているのです。 「1010 114 2012 / Februaryの個性派銭湯空間セレクション その十六・鶴の湯(文京区) 日本一大きな富士山ペンキ絵のある銭湯(P.P.14~15)」で、「文京14 鶴の湯(千駄木5-32-2)」が取り上げられていますが、こちらが故早川利光氏による「元祖」で(川崎方面にもう1軒あるとか・・・未確認・・・情報があればご連絡ください)、「白い木壁にシンプルに富士山のみ」なのもかえって雄大さが感じられ、大きさ的にも引けを取りません。ご主人が大切にされている&ご自慢のもので、写真の額が休憩スペースと玄関に飾られています。 これらのペンキ絵を見るためだけにでも遠くから訪れる価値の高い銭湯です。是非是非是非!!! 追記(2012.3.5) トロリーバスは現在の今井街道を走っていたようですが、都電までは少し南側の専用軌道(現在は細い道になっています)を走っていたようです。 <参考(素晴らしいページです)> なつかしの鉄道写真館~城東電車江戸川線とトロリーバス~ http://www.geocities.jp/glock1320031/sub9-3.htm |
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銭湯お遍路247軒目です。 すっかり暗くなってしまいましたので予め撮影しておいた写真をどうぞ! 新小岩駅南口のロータリーから南東に延びるルミエール商店街を60m程進み、右折して(南西方向)新小岩仲通りを250m程歩いて抜けて、さらに50m程の「江戸川区と葛飾区の境が入り組んだ地域(中川と旧小松川境川をつなぐ形で水田地帯を流れていた小さな川の名残と思われます)」にあるコンクリート建築(後部が自宅)の銭湯です。 「丸に剣方喰(かたばみ)」の家紋が外壁正面に輝く現在の建物は昭和59年の建築で、創業は昭和9年とのことです。 創業以来の先代建物は、浴室中隔壁の男湯側に3種の風景(富士山・安芸の宮島・京都嵐山)、同女湯側に3種のおとぎ話(金太郎・花咲かじいさん・桃太郎)の九谷焼三六角タイル絵のある伝統的な宮造り建築だったようです。 朝顔も登る街のシンボル的存在の後部に聳えていた創業以来のコンクリート製円筒型煙突は、戦前・戦中・戦後を見つめ続けて77年間、平成23年11月8日に解体され、クリーンエネルギー時代に合わせた銀色の低い金属製円筒型煙突に後を譲ったとのことです。 ひさしの下に屋号入りのガラスのある玄関に数段昇る形で入ると、石灯籠を備えた粋な枯れ形式の坪庭があり、味わい深い絵も飾られています。木札鍵の松竹錠の下足ロッカーと松竹M型錠の傘立てが使われています。 自動ドアの奥がフロント(FRONTと表示/非売品のお湯の富士くんもいます)と休憩スペースで、大きな熱帯魚の水槽に加え、ご主人の趣味なのか「龍馬の写真」「ハンフリーボガートの写真」「ジェームズディーンのポスター」「メジロマックイーンの天皇賞勝利記念の額」なんかが飾られています。 全国的にも珍しい屋号のためか、話し好きでなかなかに洒落の利いたご主人と牧村美枝子似(ご主人談)の奥様は夫婦で何度かテレビ出演されておられるとのことで、TBS(当時)の鈴木史朗アナウンサー(御長寿クイズ「100人フロオケ」の収録で来湯)、アリtoキリギリスさん、さらに山城新伍さん(故人)、横山やすし師匠(故人)と懐かしさ溢れるサインと写真の額も飾られています。 木床&新しい天井の脱衣所では、普通鍵の松竹錠の脱衣ロッカーが使われており、 <背景画とは> ペンキ絵 江戸川51 第二寿湯(江戸川1丁目46-12)…の赤富士(男湯側/ただし前々作) -未訪問- タイル絵 江戸川33 照の湯(南小岩6丁目26-19)…の雉と花 http://sentotanbonin.kai-seki.net/Entry/57/ -女湯側にあるものと思われます- モザイクタイル絵 江戸川9 一心湯(当銭湯/松島4丁目9-8)…の女湯側のもの(後述) <一心湯のタイル絵(昭和9年から59年まで)> <一心湯の煙突がなくなるまで(昭和9年から平成23年)> ・・・の3つの説明パネルが掲示されています(情報の多くはここから入手しました)。なぜか総合格闘家の宇野薫氏のサインと写真の額もあります。 浴室はブルーの微妙な蒲鉾天井で、タイルは比較的新しくなっています。 浴槽は内側から、浅い大きめ円形ジャグジーと蛙のいらっしゃる岩入り格子状湯口とパイプで仕切られたジェットというか浅い座風呂というかが2基並ぶ、外側がやや手前に拡がった浅浴槽…という通常配置の2槽式です(パーマンバッジをご想像ください)。内側手前に立ちシャワーも2基あります。 カランは固定シャワー付きの茶色ハンドルタイプの押し手で、内側4つ、6つ&6つの島(鏡は板状)、外側7つの配置です。 正面壁は、男湯側が「虹のかかる海で海豚・亀・飛び魚に乗る(白いが)3匹の河童の子ども(一見の価値大!)」、女湯側が「動物たちのお祭り(湯気で確認できませんが端に雀も見えますのでそうだと思われます/是非実際にご覧ください)※」の非常にポップな不整形モザイクタイル絵です。 ※台東9 改栄湯 http://sentotanbonin.kai-seki.net/Entry/337/ ・・・の男湯側と酷似しているようです。 黄色のケロリンの湯桶が使われています。 新小岩駅から近く帰りにオツな飲み屋で一杯…がお勧めの銭湯です。非常にポップなモザイクタイル絵やご主人の軽妙なトークにも癒されます。仕事帰りに、あるいは小旅行を兼ねて、いかがでしょうか。 |
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そんな訳で、途中にあった廃業銭湯の現況です。
☆江戸川11 二葉湯(松島4-39-14) JR総武線新小岩駅の南方800m程の商店街を抜けたあたりの中川に近い住宅地にありました。ネットに散在する情報を総合すると、上階が賃貸マンション&フロント式のビル型銭湯で、浴槽背面が岩状、石製球体の湯口があったようです。面影はなく、建て売り住宅になっていました。 ☆葛飾48 かつの湯(新小岩4-7-20) JR総武線新小岩駅南口近くの平和橋通りの交差点(歩道橋あり)からJR総武線に沿って500m程千葉方面に歩いた古い商店街(新小岩第一末広商店会)の中にありました。2010年の廃業です。ネットに散在する情報を総合すると、二重千鳥破風を冠した伝統的な宮造り銭湯で(コンクリート製円筒型煙突が聳えていました)、木床&白壁&木調折上げ格天井の脱衣所及び浴室のタイルやカランを含めて内部もほぼ昔のままで、故早川利光氏による荘厳なペンキ絵(西伊豆/浴室中央に富士が据わる)や浴室中隔壁のモザイクタイル絵もありました。黄色ケロリンタイプのオリジナルの湯桶が使われていました。屋号は創業者の奥様?の名前に因んだようです。面影はなく、新たなビル(1階がテナント&上階がマンション)の建設中でした。 <参考> トーキョーワッショイの該当ページ http://tkyw.jp/archives/3498728.html 銭湯愛好会 東京支部の該当ページ http://members2.jcom.home.ne.jp/sweet-arumu-take/tokyo/katsushika/katsunoyu.html 在りし日の銭湯を想いつつ合掌! |
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銭湯お遍路246軒目です。 そんなわけで、私は、墨田区の東武亀戸線東あずま駅から平井橋を渡り旧中川を越えて江戸川区に入り、さらに平井大橋を渡り荒川と中川を越え江戸川区と葛飾区の境が入り組んだ地域(旧小松川境川及び中川と旧小松川境川をつなぐ形で水田地帯を流れていた小さな川の名残と思われます)を転々…と遙々歩きましたが、最寄りは葛飾区にあるJR総武線新小岩駅で、その東方2km程の「菅原橋」という、古くは元佐倉道であった千葉街道(国道14号線)、鹿骨(ししぼね)街道(江戸川区の本一色から江戸川沿いで対岸は千葉県である篠崎町に至る)、旧小松川境川である現小松川境川親水公園に沿う小径とその上流側にあたる暗渠化されてできた道・・・などによる「驚きの変形9叉路」の脇に建っています。 交差点名の元で屋号の由来と思われる「菅原橋」は、旧小松川境川にかかっていたようですが、今はなんの痕跡も残されていないようです。 因みに、南西側の八蔵橋(同じく旧小松川境川にかかっていた橋・・・現況は未確認)からの1.5km程はかつては「菅原ッ原」といわれる両脇に細い小川の流れる寂しげな一帯だったとのことです。 どちら側の玄関にもSAKURA-Gのプラスチック板鍵の下足ロッカーとさくらの小さなアルミ板鍵の傘立てロッカーがあり、さらに自動ドアを開けて入ると横向きのフロントと休憩スペースになっています。 脱衣所は白壁&中が木調の折上げ格天井で、SAKURAⅢの普通鍵の脱衣ロッカーが使われています。常連の置き道具が棚に並び、外側にはコンクリート製の縁側の小さな庭とトイレがあります。 浴室は梁に赤い装飾を施した大橋ブルーに塗られた天井で下部の壁タイルは花柄に改修されています。 浴槽は内側が生薬タイプの薬湯の円形バイブラバスで、外側が背側にジェット3基(底が数cm高くなっている)と外側に麦飯石入りの格子状湯口のある外側がやや手前に拡がった浅浴槽という通常配置の2槽式です。内側手前に立ちシャワーもあります。 カランは固定シャワー付きの銀色ハンドルタイプの押し手で、内側5つ、6つ&6つの島(鏡は板状)、外側5つの配置です。 ペンキ絵は中島盛夫氏(と田中みずき氏)によるもので(2010.5.17画)、男湯は川の上流(利根川?)&女湯は伊豆で、富士山は浴室中央に据わり、銘も中央に入っています。 <参照> 銭湯ペンキ絵師見習い日記 http://mizu111.blog40.fc2.com/ 黄色のケロリンの湯桶とブルー系で統一された丸型&角形のプラスチック椅子が、浴室入口付近にきちんと積まれています。 東京近郊の市街地の住民を長く癒してきた銭湯のようです。いかがでしょうか。 |
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