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まゆゆ(M):いいえ。ちっともつまんなくなんかなかったわ。私、埼玉県出身だから待ち合わせた北千住駅には何度も友達と行ったことがあるけど、歴史はあんまり得意じゃないから、北千住駅から歩いた古い商店街(本町センター商店街~千住仲町商店街=かもん宿商店街)なんかが江戸時代の道(日光街道)だったなんてことも知らなかったの。松尾芭蕉の「奥の細道」なんて教科書に出てくる場所もこんな身近にあったのね。 S:東京は本当に歴史的な都市なんだよ。でも、千住大橋で隅田川を渡って足立区から荒川区へ・・・なんて、調子に乗ってずいぶん歩かせちゃったね。疲れなかったかい。寒かったし・・・。 M:途中の三ノ輪橋商店街(ジョイフル三ノ輪)で食べ歩きさせてもらったし、最後が銭湯「荒川28 帝国湯(東日暮里3-22-3)」だったから大丈夫よ。ところでSはもうたくさんの銭湯に入ってるんでしょ。 S:東京だけでもこれで252軒目になるよ。台湾の1軒を含めて、合計400軒を超えたくらいかな。この業界ではまだビギナーの方だけど・・・。 M:それにしても、なんだか神社かお寺のような立派な銭湯だったわ。 S:大正5年創業で都内でも最古級の銭湯の1つさ。宮造り建築という東京の銭湯の定番の造りで、玄関の上には唐破風っていう丸みを帯びた立派な瓦屋根もあったでしょ。鬼瓦付きで下の懸魚っていう飾りには「鬼蔦系?の家紋(詳細不明)」もあったね。後ろ側は瓦屋根じゃなかったけど、塀も含めて外観はほぼ昔のまんまじゃないかな。高いコンクリート製の円筒型煙突(先端がいい具合に煤けていました)があるのも特徴の1つさ。お湯が柔らかいとされる薪で沸かしているようだったね。 M:玄関も昔のお祖母ちゃん家みたいだったの。 S:左右に古い緑系のタイル壁があり上に昔の字体(ひらがな)で屋号の入った欄間がある入口は昔通りの木製引き戸で、鍵の代わりの心張り棒まで木製だったのにはさすがに驚いたよ。上の灯りは新しいけど、雰囲気に合うものになっていたね。同じく昔の字体(ひらがな)で白く屋号を染め抜いたオリジナルの紺色暖簾がかかっていたけど、あんな具合に縦に長いタイプは東京では珍しいんだよ。脱衣所の天井に合わせた木製の天井で、三和土は緑系の市松に近い柄で、靴を脱いで上がったところも立派な木製だったね。さくらの木札鍵の下足ロッカーやさくらのアルミ板鍵の傘入れロッカーも定番なのさ。 M:よく見てるわねぇ。番台っていうのはちょっと恥ずかしかったけど、引き戸を開けて入った脱衣所も、とってもいい雰囲気だったわ。 S:白壁、そしてしっかり手入れされたぬくもりのある木床で、あの重厚な木調の天井は折上げ格天井というんだよ。外側に飾りがあるのはさらに豪華なものなんだ。入浴者心得が昭和27年6月と60年近くも前のものなのもなかなかだよ。 M:お父さんお母さんというよりもお祖父ちゃんお祖母ちゃんの時代のものだわ。 S:サイドの板が雲の形をしている木製の番台はもちろん、その上の棚や小物箪笥も昔のままだったし、立派な柱時計や「白バラ石鹸本舗」などから贈られた大入りの額も飾られていたね(男湯側1枚&女湯側2枚)。古いタイプのSAKURAの大きめアルミ板鍵(一部はSAKURAⅡのアルミ板鍵)の脱衣ロッカーが使われていたね。男湯には浅草の懐かし映画の案内が貼られていたよ。外側に拡がったタイプの脱衣所で、浴室横には石灯籠のある庭、手前から外側にかけては石灯籠と「石橋と噴水があり鯉のいる池」のある庭があり、どちらもよく手入れされていて、後のは木製の縁側で涼めるようになっていたね。その先のトイレは昔の鍵の閂も木製の木戸だったりするけど、ちゃんと水洗にはなっていたね。 M:浴室も天井が高くて広いのね。 S:窓枠や梁や飾りがピンクなのは変わり種だけど、大橋ブルーという青系ペンキで塗られているのは定番なのさ。湯気抜きという天井の上の部分、側壁の上の部分、釜場という浴室後方の作業場への戸、そして浴室と脱衣所の境の戸がアルミサッシになっている以外は木製のままというのも実に味があったね。戸や窓に使われている模様ガラスも今は手に入らない年代物だと思うよ。脱衣所の浴室への入口付近にあった市松模様の白と青系の床タイルも昔のものだよ。 M:浴槽なんだけど、すごく深くてビックリしたのよ。私、背、高くないから・・・(まゆゆの身長は154cmとのこと)。 S:そうか。一瞬「キャ」って聞こえたのはこれだったんだね。普通の外側奥配置だけど3槽式になっていて、一番内側は「都内でも有数の深さ」で、ぼくもびっくりしたよ。一番外側の薬湯もほとんど同じ深さだったね。真ん中のジェットが2基あるところは普通の深さだったけど・・・。内側の浴槽には岩状の流れ落ちる湯口、中央の浴槽には岩状の湧き上がる湯口もあったね。 M:真ん中に富士山のある大きな絵が描いてあったわね。 S:あの雄大な絵は銭湯背景画またはペンキ絵っていうのさ。描かれた日付がなかったけど、あの特徴的な「早川」というサインは惜しまれつつ平成21年4月13日に亡くなられた「早川利光さん」という銭湯背景画絵師のもので、男湯は飛び散る波飛沫が豪快な西伊豆、女湯は美なんとかだけど残念ながら読めなかったよ(おわかりの方はご連絡ください)。相当年月が経っているけど大切にされているようだったよ。女湯に人参に乗るウサギ、男湯に水上飛行艇が描かれているのは子ども向けのご愛敬だろうね。下に広告スペースが残っていて、「赤文字登録 千葉 實母散薬湯」と「強力 超音波浴泉 共立式」が貼られていたね。 M:浴槽の周り(背面~側面)にあった鯉や金魚の絵はとってもきれいだったわ。 S:鈴栄堂九谷の章仙作という名品のタイル絵で、あのサイズのものを三六角タイルというのさ。鯉は「客よ来い」の洒落で、他に金魚が泳ぐ、松や楓のある池の絵だよ。男女浴室の中隔壁(上に行灯的な灯り)には「岸に桜や松があり帆掛け船の浮かぶ湖」のモザイクタイル絵もあったよ。 M:水やお湯の蛇口は、近くのスーパー銭湯とは違って、とっても普通だったわ。 S:カランっていうんだけど、押し手がそこそこ古い赤と青のハンドルタイプだったね。内側の6つのみに固定シャワーがあったけど、種類がバラバラなのは板状鏡と一緒に後から付けて修理を繰り返したからなんだろうね。4つ&4つの島はシャワーも鏡もなかったし外側の5つは後から付けた板状鏡しかなかったし・・・。もちろんシンプルなのが味なんだけどね。 M:黄色のケロリンの湯桶はしっかりあったわ。 S:古めの黄色のプラスチック椅子と合わせて入口横にきちんと積んであったのは、常連さん達がこの銭湯を大切にしている証拠なのさ。 M:ちょっと残念だったのは、お湯がとっても熱かったのよね。 S:東京の下町の銭湯はあつ湯だからねえ。やり過ぎない程度に埋めてもいいんだけど、なぜか常連もビックリの高温の日だったみたいで、釜場から木製の湯揉み棒をもった女将が登場したよ。 M:そうそう。女湯側の脱衣所に裏庭から切ってきた大きな桜の枝が生けてあって、もう咲いていたのよ。見えた? S:男湯側からも見えたよ。男湯側の紅梅と白梅の鉢植えも咲いていたよ(開花前でしたが中国桜の桶植えもありました)。この心遣いが粋だねぇ。これまで何度もテレビや雑誌などで取り上げられたことのある銭湯だけど、それを自慢することがない・・・っていうのもご主人の心意気を感じるよ。懐かしマンガがいっぱいあって碁盤や将棋盤も置かれていたから、きっと常連が長居してくつろげるいい銭湯なんだろうね。 M:なんだかレトロ銭湯って、とっても気に入っちゃったわ。開放感があってストレス解消に最高なんだもの。また連れてってね。 S:うん。いつでもOKさ! ・・・というわけで、いつも通りの紹介文では当ブログご常連の方々もそろそろ飽きていらっしゃったのではないかと思い?、Au携帯のLISMO Playerに仕込んだ「AKB48 Team B&渡り廊下走り隊のまゆゆこと渡辺麻友ちゃん」のソロデビュー曲「シンクロときめき」をエンドレスBGMにして散策しましたので(イヤホンをして歩くときには周囲に十分ご注意ください!)、こんな妄想?文章にしてみました(ファンの皆様ごめんなさ~い・・・銭湯や地域情報とまゆゆの基本情報以外はもちろん全くのフィクションです・・・本人の話し方とはおそらくかなり違いますよ~)。 渡辺麻友 OFFICIAL WEBSITE http://www.watanabemayu.jp/ でも・・・こんな形のバーチャルデートっていう銭湯ライフはいかがでしょうか。 因みに、最寄りはJR常磐線三河島駅で、その東南東400m程の町工場が散在する古くからの下町のなかにあります。 PR |
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※中川(旧中川)の平井の渡しから四股(よつまた/現在の荒川と中川の間の土手のあたりにあった)で元佐倉道(旧千葉街道)と交差して、東小松川村、西一之江村、東一之江村を経て旧江戸川の今井の渡し(対岸は千葉県)に達する道筋。江戸時代初期には成立していたが起源は不明。江戸中期以降は庶民の成田山参詣路の1つでもあった。都電やトロリーバスが走っていた時期もあります*。 銭湯お遍路251軒目です。 実はこの道こそ、大正14年12月31日に城東電車江戸川線(今井線・一之江線と呼ばれる場合もあります/東荒川~旧今井橋)として開通し、東京乗合自動車株式会社、次いで東京地下鉄道株式会社と合併後、昭和17年2月1日に東京市に買収され市電に編入され、さらに都電26系統(東荒川~今井橋)が走っていた電車通りで、昭和27年5月20日から昭和43年9月28日までは現在の今井街道をトロリーバス101系統(上野公園~今井)が走っていました(*)。 <参考(素晴らしいページです)> なつかしの鉄道写真館~城東電車江戸川線とトロリーバス~ http://www.geocities.jp/glock1320031/sub9-3.htm やや簡素な宮造り銭湯の前方フロント改造版で、周りには未舗装地も多く、後方にはうっすらとサウナの文字の残るコンクリート製円筒型煙突が聳え立ちます。壁には「露天岩風呂」と「サウナ」の文字があります。 数段昇る形で2階自宅?への階段と並ぶ玄関に入ります。SAKURA-Gの小さめ木板鍵(一部はプラスチック鍵)の下足ロッカーとTOKYO MOMのアルミ板鍵の傘立てが使われています。 自動ドアの奥がフロント(FRONTと表示)と休憩スペースです。様々なぬいぐるみや非売品のお湯の富士くんに加えて、「夕刊フジの記事(平成10年1月18日)☆」「讀賣家庭経済新聞の記事(昭和62年4月30日(木)・・・入浴料(大人)が¥260!)」「雑誌(詳細不明)の特集記事(カラー)」「TBS 100人フロオケ ロケ記念の色紙」が飾られています。 ☆同時に「大田71 ゆ~シティー蒲田(蒲田1-26-16)」「新宿8 世界湯(高田馬場3-8-31)」「中野20 アクア東中野(東中野4-9-22)」「品川15 宮城湯(西品川2-18-4)」「目黒14(2002版) ポカポカランド鷹番の湯(鷹番2-2-1)…廃業」「杉並区1-21('94版) 白山湯(成田東2-28-11)…廃業」も掲載されています(いずれも未訪問)。 フロントの両脇のおかめとひょっとこによる表示の奥が、後に改築されたと思われる比較的新しい脱衣所です。木床風の建材による床で、同じ建材のベンチもあり、中隔壁には花型のライトの付いたパウダーコーナーが2つあります。SAKURAⅢの普通鍵の脱衣ロッカーと古めのKeihoku Hakariが使われています。有線の演歌が流れています。多数の鉢植えや生け花は女将の心遣いのようです。 浴室は側方が二段流れの広いタイプの東京型で、白を基調にピンクというなかなか見ない配色の天井です。下部の壁タイルはセピア調の花模様に改修され、正面壁には竹林のプリントが貼られています。入口脇下部に3色の柄付きガラスブロック壁があります。 浴槽は通常の奥配置で、内側から、いずれもボタン式のハイパージェット(非稼働)・座風呂(稼働)、リラックスバス(微妙なバブルのみ)2基と並び、さらに背側に岩入り格子状湯口があり奥側が電気風呂になった薬湯(ジャスミンティーでした・・・緑色の湯)の浅浴槽、サウナ(別料金/非稼働…売りだったようですが…)という配置です。 内側中央辺りに「レインボーシャワー」という非常に興味深いものがあったのですが、こちらも残念ながら非稼働でした(ライトがつきうなるのみで湯は出ません)。続いて立ちシャワー2基があり、一番手前に立派な「掛水」があります。 素晴らしいのは脱衣所の外側に増築されたかなり広い「雰囲気のある」露天岩風呂です(備長炭湯/脱衣所とトイレから見えるというのも面白い!)。葦簀天井で結構な大きさの湯滝(長寿の湯)があり、浴槽には寝転ぶことのできる浅い部分もあります(一人用)。行灯型ライトが使われており、壁側の岩には座れるところもあります。 さらに手前の「赤い木製の小橋のかかった池や石灯籠のある小さいながらも手入れされた庭」を眺めることができ(休憩スペースからも見えます)、藤棚?がありますので、季節によっては尚更なのではないかと思われます。 固定シャワー付きのカランは固定シャワーのハンドルを含めて温泉マークの押し手で、内側3つ、6つ&6つの島、5つ&5つの島、外側6つの配置です。 「セラミック活水器 FW4000型」「軟水シャワー装置」「森林浴 オゾン発生装置」使用との表示がありました。 赤いサイドライン入りの黄色のケロリンの湯桶が使われています。 次項で紹介する大衆酒場との梯子をすれば、どっぷりと昭和に浸れること請け合いです。是非! 追記 個人?の所有物でありかつ公表されていないようなので、詳細な位置の紹介と写真の掲載は控えますが、近くの某商店の駐車場の壁に「中島盛夫氏による西伊豆」が描かれています(平成21年7月 画)。見つけた方はそっと遠くからご覧ください。 |
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そんな訳で、途中にあった廃業銭湯の現況です。
☆江戸川50 弁天湯(東瑞江2-45) 都営新宿線瑞江駅の南方800m程の篠崎街道からちょっと北方に路地を入った住宅地にありました。ネットに散在する情報を総合すると、コンクリート製円筒型煙突が聳える千鳥破風を冠した立派な宮造り銭湯の前方フロント改造版で、薪で沸かしていたようです。丸山清人作の瀬戸内海のペンキ絵があったようです。痕跡はなく、賃貸アパートになっていました。 ☆江戸川53 改良湯(江戸川3-48-1) 都営新宿線一之江駅から瑞江大橋で新中川を渡った旧江戸川に近い住宅地にありました(旧江戸川対岸は千葉県市川市)。ネットに散在する情報を総合すると、屋号入りのコンクリート製円筒型煙突が聳える昭和後期?建築の簡素なフロント式銭湯で、男湯(川から流れ落ちる滝景色)から女湯(山の風景)につながる正面壁全面のタイル絵が見事で、森林浴もあったようです。痕跡はなく、賃貸アパートになっていました。 在りし日の銭湯を想いつつ合掌! |
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銭湯お遍路249軒目です。 最寄りの都営新宿線瑞江駅南東方600m程にある篠崎街道から、さらに南東方に延びる昔ながらの商店街「エトワール モール(E'TOILE MALL)」を200m程進んだ中心部脇の路地に建っています。 改修の加わった簡素な東京型銭湯で、入口周りは和風の趣、「寿銭湯 第二寿湯」と墨書きされた木製看板が掲げられ、雪だるま柄のかわいらしい屋号入りオリジナル暖簾がかかっています(季節によって替わるようです)。ブロック塀にも和風の装飾灯があしらわれています。銭湯マークと屋号がうっすらと残る、いい色のついたコンクリート製円筒型煙突が後方に聳え立ちます。 側方に山積みになっていますので、薪で沸かしているものと思われます。 玄関は昭和の緑~青系タイルの三和土と正面壁で簡素ながらも格天井、木板鍵の松竹錠の下足ロッカーと松竹M型錠の傘立てが使われ、振り向くと入口の戸の上部には欄間風の戸が残されています。 「Let's Go 1010!!」がエンドレスでかかる脱衣所は、白壁&格天井に似た立派な木調飾り天井で、昔の木製建具が多く残され、改修部分も木調で統一されています。木床と番台(大女将がいらっしゃいました・・・EdyとiD対応とのこと)は新しくなっているようですが、番台で使われている小物箪笥は時代物のようです。新調された松竹の普通鍵の脱衣ロッカーが使われていますが、中央部のものは可動式で、脱衣所の中隔壁も取り外し可能なようです。田村隆一の詩のパネルに加えて「はぁふぅほっ」というオリジナルデザインの当銭湯のパネルがあります。非売品のお湯の富士くんも立っています。手前には石灯籠のある小さめながら手入れされた庭があります。 入口から浴室に至るまでところどころに手摺りがあり、段差の多くも解消され、トイレもバリアフリーになっています。そのためなのか非常に高齢者率が高くなっています(文字通り寿銭湯!・・・健遊館のデイサービス施設にもなっています)。 境目の古めの床タイルの先の脱衣所は一部に赤い装飾のある大橋ブルーの天井で、梁などは木製のままですが、タイルを含めて下部は改修されています。 手前への拡張を含めて改修済みの浴槽は、内側が「岩盤泉・ジェット1基・電気風呂のある浅浴槽」、外側が「やや手前に出っ張った岩盤泉のある日替り薬湯(ツヤめきプロテクト 真珠でした・・・紫~ピンクの湯)の浅浴槽」の2槽式です。内側手前には立ちシャワーもあります。 カランは赤・青のハンドルタイプの押し手で、内側奥1つ(浴槽拡張のため撤去)+中央4つ(ロングシャワー)+手前1つ(固定シャワー)、5つ&5つの島(シャワーなし/板状鏡のみ)、外側奥1つ(浴槽拡張のため撤去)+手前4つ(固定シャワー)の配置です。 黄色のケロリンの湯桶が使われています。 浴室中隔壁には「風車小屋付きの農家の建つ川辺」の洋風モザイクタイル絵があります。 大変遺憾ながら、最後に触れなければならないのが・・・ペンキ絵です。 AKB48 YJ7 vs YM7 神保町・護国寺大戦(集英社) http://www.akb48-yj7-ym7.com/special/index.html 罰ゲームとして敗者のYJ7(峯岸みなみ、北原里英、多田愛佳、佐藤亜美菜、横山由依、山内鈴蘭、市川美織:敬称略)の似顔絵(激闘記念壁画)が、2011年12月3日(土)から当銭湯の男湯に、同10日(土)から女湯にも掲示されました(2012年1月5日(木)で終了)。 ・・・のイベントの後がどうなったのかがとても気になるところでしたが、う~ん・・・と唸るしかありませんでした。 男湯は「川の上流+えどがわ銭湯キャラクター お湯の富士くん5種5体」、女湯は「富士山と桜」でしたが、前者は濃度遠近法の基本も知らない絵で(遠くの山が深緑で近くの山が黄緑じゃぁ・・・)、後者は富士山は立体感が全くなく(陰影の付け方が滅茶苦茶)、桜は焦げ茶の線(枝のつもりなのでしょう)に薄ぼんやりとピンクを散らしただけという(この構図は色が単純なだけにかえって非常に難しい!)、気の利いた中学校の美術部員でももっと上手な絵を描くわい・・・というお粗末な代物でした。 AKB48の似顔絵もネット上では酷評されているようですが(著作権があろうと存じますので敢えて画像は引用しません・・・ネット上に散在していますので各自検索してみてください)、同じく「箱根秋水・画」となっており(単なる洒落のおつもりでしょう)、「ペンキを塗る経験のみで絵の経験のない人」が描いたものと思われます。 平板なお湯の富士くんは手本通りなぞればいいのですが、風景画はそうは行かず、似顔絵はさらに?難しいでしょう(映画の看板を描く方に頼めばよかったのに・・・)。 非常に厳しい物言いですが、ここは正直に書くのが銭湯文化を守る正しい道と信じ、酷評させていただきます。 一銭湯フリークの勝手な想いかもしれませんが、銭湯全体の雰囲気が悪くないだけに、さらに前々作が故早川利光氏による赤富士が輝く西伊豆(女湯は普通の伊豆?or大歩危小歩危?・・・ネット上の情報が錯綜/平成18年11月1日 画)だっただけに非常に惜しまれます。 違った意味で?一見の価値のある銭湯になってしまいましたが、一度は行ってみてください。 急いで追記 ネットを検索していて、受注製作したのは、 川越映画看板社 http://cinecoll.ocnk.net/ ・・・で、箱根秋水氏とは「日本に数名しかいない映画看板師のお一人で大型看板を速乾性油絵具で描く人」だと判明しました。 「ヘタ」「ヘタウマ」「ウマヘタ」「マンガダマシ」「ホンモノ」の5種類の描画手法があるとのことで、AKB48は罰ゲームとして「ヘタ」で描かれたのかも知れませんが、現在のペンキ絵はどちらも全くいただけません。映画の看板絵(基本的に遠近感は不要)と銭湯絵(奥行きを持って雄大に描くのが重要)は違った手法による全く別のものだということがよくわかります。ある意味で勉強になりますのでお立ち寄りの程・・・。 <補足…必ずお読みください> 銭湯背景画について(私見) |
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