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墨田31 大黒湯 http://sentotanbonin.kai-seki.net/Entry/363/ ・・・の訪問の道すがら、現況を確認してきました。 既に建物は撤去されており、温泉マーク・屋号・天然温泉が書かれた、先端に集塵装置が付いた高いコンクリート製円筒型煙突が取り壊しを待つ状況でした。 ご近所の方々のお話によれば、マンションビルになるようです。 向かいが渋い居酒屋(私的には名店!)というベストな立地でもありましたので非常に残念です。 改めて、合掌! <参照> 墨田29 泉湯【廃業】 http://sentotanbonin.kai-seki.net/Entry/219/ 追記1 廃業した「墨田37 錦糸浴場(錦糸2-6-3)」は(ネットに散在する情報によると錦糸町駅北口側の商業地区に建つ番台式の比較的古いビル型銭湯だったようです)、併設するサウナを残して業態変更したのでしょうか。 追記2 「墨田38 楽天浴場(江東橋4-15-1)」はまだ休業中の模様です。 PR |
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銭湯お遍路253軒目です。 押上駅と錦糸町駅を南北につなぐ四ツ目通りのやや押上駅に近い春日通りとの交差点を北西に少々入ったところに建つ、御年91歳の大女将が切り盛りする、正面フロント改造版の宮造り銭湯です。隣は児童遊園で側面がじっくりと観察できます。 やや低めながらも金属製円筒型煙突と東京スカイツリーが同一アングルに収まった銭湯写真が撮影できるというのがナイスです(広角レンズが必要です)。 新しめの木札鍵の松竹錠の下足ロッカーと松竹M型錠の傘立てのある玄関正面には、2つの米俵に乗った大黒様と2匹の鼠の木製透かし彫りが飾られています。 自動ドアを開けるとフロントと休憩スペースで、奥には小さな庭もあります。下が松竹アルミ板鍵のロッカーになっているベンチが置いてあります。フロントで使われている小さな木製物入れ棚は年代物です。 中白&枠がモスグリーン(後に塗り替えられた?)の折上げ格天井、白壁、よく磨かれた木床、梁や柱は古い木製・・・の脱衣所で、外側の一部はガラスブロック壁、天井にはモスグリーン(同)に塗られた大きな2枚羽根の天井扇があります。古い大きな壁型扇風機もあり、常連さんの置き道具棚は手作りの木製です。脱衣ロッカーは新しい松竹ディンプル錠になっています(フロント貸し出し方式)。ぶら下がり健康器や腹筋運動用器具なども置かれています。 浴室は湯気抜き部分が蒲鉾型の大橋ブルーの天井で(柱などの一部は黄土色)、下部のタイルはDisneyキャラクターが配された新しいものです。 浴槽は外側逆L字配置で、内側からスーパージェット&ボディーマッサージ&座風呂(全てボタン式)、一部パイプの仕切りを挟んでバイブラのある浅浴槽(最外側背面に大きな滝状湯口)、手前に向かって日替り薬湯(バスフレンドよもぎでした)、次いで内側に張り出す形で一部に踏み石のある大きな歩行風呂があります。水深90cmで約2.5m四方もありますので(ちょっとしたプール!)、入口の階段部分から飛び込みたくなる子ども?も多いようで、「飛び込み禁止」の注意書きもあります(対象を考えるとひらがなの方が・・・)。さらに、外側の業務用廊下につながる小さなアルミ戸を挟み脱衣所に入り込む形で遠赤外線電気サウナ(別料金)があります。入口脇には水風呂もあります。内側手前には立ちシャワーもあります。 井戸水を用いた人工重曹泉が使われています。 カランは固定シャワー付き(男湯は修理のため不揃い/女湯はピンクとのこと)の銀色ハンドルタイプの押し手で、内側8つ(一番奥は釜場への戸の直前!/一番手前のみロングシャワー)、6つ&6つ(一番手前は固定シャワーなし)の配置です。 ペンキ絵は中島盛夫氏&田中みずき氏によるもので(平成23年11月22日 画)、男湯は湖からの富士、女湯は海の風景?です。閉店時はシャッターに東京スカイツリーの絵が楽しめるそうです。 <参照> 銭湯ペンキ絵師見習い日記 http://mizu111.blog40.fc2.com/ 底部に青い温泉マーク&赤いサイドラインのある黄色のケロリン型湯桶が使われています。 特筆すべきは、休憩スペースに飾られた銭湯写真家の今田耕太郎氏から贈られた多数の写真です。東京スカイツリー建設前の写真(ペンキ絵も以前のものです)や釜場などの普段はお目にかかれない部分の写真もあります(モノクロ写真には実に味があります)。 imada photo service http://www.imadaphotoservice.com/ SIONNET.TV CREATORS #1 銭湯写真家 今田耕太郎 http://www.sionnet.tv/creators/index.html 付近には相撲部屋が散在していますので、運が良ければ関取に遭遇するかも知れません(フロントには錣山部屋所属の現役力士 豊真将関の色紙があります)。そのためか、脱衣所の体重計は比較的に新しい針式ですが、120㎏(32貫目)まで計測可能な大型です。 また、 本所防災館 http://www.tfd.metro.tokyo.jp/hp-hjbskan/ ・・・からすぐですので、家族で防災を学んでからひとっ風呂・・・というのもいいかも知れません。この辺りには知られざるオツな居酒屋も多数ありますよ。もちろん東京スカイツリーは至近です。是非! 「1010 114 2012 / February TOKYO銭湯物語 この銭湯の隠し味 P.P.8~9」もご参照ください(東京都公衆浴場業生活衛生同業組合のHPでオンライン版も読めます)。 |
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荒川28 帝国湯
http://sentotanbonin.kai-seki.net/Entry/357/ ・・・の訪問のついでに確認した(2012.3.8)、荒川区のその他の廃業銭湯の現況です。 ☆荒川34 正庭湯(東日暮里1-20-4) 東京メトロ日比谷線三ノ輪橋駅脇の三ノ輪橋交差点から北西に向かう正庭通り沿い(約100m歩きます)に建つ比較的新しい複合ビルの2階にあるフロント形式の銭湯でした(外階段を上がります)。2011.1.2の廃業です。ネットに散在する情報を総合すると、3階部分への吹き抜け構造で天井が高く(浴室は金属製建材の蒲鉾天井)、浴室中隔壁には湖から望む山々のモザイクタイル絵があったようです。ビル自体は変わらずにそのままで、銭湯部分のみ改装されて別の商業テナントとして使われていました。裏手のコインランドリーの灰皿に貼られた屋号や洗濯物入れ代わりの籐製の籠に面影を留めていました。 ☆荒川39 又六湯(南千住6-51-19) 南千住駅の西北西500m程の日光街道(国道4号線)からちょっと西側に入った下町に建っていました。平成22(2010)年6月18日をもって廃業しました。ネットに散在する情報を総合すると、懸魚付きの千鳥破風を冠した伝統的な宮造り銭湯で(終戦直後の昭和27年建築)、高い煙突も聳えていたようです。もちろん番台形式で、それなりの改修はあったようですが、脱衣所は中白の折上げ格天井で、内部の建具や各種のアイテムも大いに昔の趣を留めていたようです。故早川利光氏による立派なペンキ絵(富士川(男湯)と西伊豆(女湯):平成15年6月22日 画)があったようです。浴室中隔壁には「湖から望む富士(男湯)」と「白鳥(女湯)」のモザイクタイル絵があったようです。下町の銭湯らしくあつ湯だったようです。既に痕跡はなく、分譲住宅になっていました。なお、名銭湯だったことを反映して、ネットは多数の記載で溢れています。 ↓訂正のため必ず参照(2012.10.6) 荒川39 又六湯【廃業】 http://sentotanbonin.kai-seki.net/Entry/496/ 在りし日の銭湯を想いつつ、合掌! |
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荒川28 帝国湯 http://sentotanbonin.kai-seki.net/Entry/357/ ・・・の訪問のついでに(2012.3.8)、2009年に廃業した「荒川40 大黒湯(南千住5-24-14)」の現状を確認に行きました。 屋号入りのコンクリート製円筒型煙突は撤去されていましたが、銭湯の建物自体はそのまま残されていました。 都内の銭湯密集地域の1つである荒川区の南千住駅から西方に延びる昔ながらの商店街(南千住仲通り商店会)を300m程進んだ北側の路地の奥に建っています。 残念ながら訪問したことがないのですが、ネットに散在する情報を総合すると、改修の加わった簡素な造りながら庭があり、日光の景色(赤い橋や山々/男湯)と金閣寺(女湯)のモザイクタイル絵が見事な番台形式の銭湯だったようです。 町の記憶PROJECT 南千住1000枚の記憶 http://www.sakao-lifeworks.com/minamisenju/index.html ・・・の製作場所(2011.6.26)の1つでもあったようです。当時の内部写真も幾つか掲載されています。 往時を偲びつつ、合掌! なお、「1010 67 2004 / APRIL 特別企画1 銭湯密着型町歩き指南 大江戸湯の町めぐり レトロ系銭湯のメッカ 南千住 P.P.3~10」もご参照ください(東京都公衆浴場業生活衛生同業組合のHPからも電子版が読めます)。 |
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しばらくは従来通りに営業していたらしいのですが、東日本大震災の被害(配管の破損)により、2012.1.5に営業を終え、同1.8.にお別れイベント※が行われ、惜しまれつつも廃業となった模様です。 ※町の記憶PROJECT 南千住1000枚の記憶 http://www.sakao-lifeworks.com/minamisenju/index.html ・・・のワークショップの1つでした。往時の当銭湯の内外の写真も幾つか掲載されています。なお、銭湯の庭の池は大名屋敷の池の名残だったとか・・・。 当ブログ及び同名のHP開設前の2009.11.8に訪問させていただきました。 銭湯お遍路64軒目でした。 写真は当時のものです(狭い路地に建っていましたので全景が入りませんでした・・・腕もまだ未熟でしたし・・・)。 廃業が相次ぎかなり少なくなってしまいましたが、都内の銭湯密集地域の1つである荒川区の都電荒川線の荒川一中前駅から北側に100m弱、三ノ輪橋商店街(ジョイフル三ノ輪)の西の端から北側に30m程の路地・・・という抜群の立地でした(その昔は新開地と呼ばれていた地域とのこと)。古くは買い物を兼ねたお客で賑わった銭湯だったのでしょう。 大正時代の創業で(創業者のお孫さんの3代目まで続きました)、鬼瓦付きの立派な唐破風を冠した都内最古級(荒川区では最古)の宮造り銭湯でした(関東大震災や太平洋戦争の空襲も経験したはずです)。内部(特に浴槽)はそれなりに改装されていましたが、玄関の周りを含めた外観はほぼ昔のままでした。 もちろん番台形式で、格天井ではないもののきれいな木製の天井の脱衣所が立派な枯山水の庭に面しており、木製の天井で畳敷きの外側拡張部分から眺めながら涼むことができました。 浴室中央に聳える城の天守閣、男湯側に金閣寺?と欄干付きの橋、続く側壁部分に金色に輝く五重塔(金色タイル使用!)、手前が春の庭で遠景は山々・・・という実に見事な京風?のモザイクタイル絵がありました(女湯側も類似の構図でした)。 前項の、 荒川28 帝国湯 http://sentotanbonin.kai-seki.net/Entry/357/ ・・・の訪問のついでに現状を確認しに行きましたが(2012.3.8)、その後、解体され、更地となり、新たな建物の建設準備中になっていました。 自然災害の影響とはいえ、また1つ名銭湯が歴史の彼方に消えました。在りし日を偲びつつ、合掌!! なお、「1010 67 2004 / APRIL 特別企画1 銭湯密着型町歩き指南 大江戸湯の町めぐり レトロ系銭湯のメッカ 南千住 P.P.3~10」もご参照ください(東京都公衆浴場業生活衛生同業組合のHPからも電子版が読めます)。 |
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