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「東京銭湯ぶらり湯めぐりマップ」の掲載から漏れたために(原稿が間に合わなかったらしいです)、情報が錯綜していた「荒川37 弁天湯(南千住1-23-11)」。
しばらくは従来通りに営業していたらしいのですが、東日本大震災の被害(配管の破損)により、2012.1.5に営業を終え、同1.8.にお別れイベント※が行われ、惜しまれつつも廃業となった模様です。 ※町の記憶PROJECT 南千住1000枚の記憶 http://www.sakao-lifeworks.com/minamisenju/index.html ・・・のワークショップの1つでした。往時の当銭湯の内外の写真も幾つか掲載されています。なお、銭湯の庭の池は大名屋敷の池の名残だったとか・・・。 当ブログ及び同名のHP開設前の2009.11.8に訪問させていただきました。 銭湯お遍路64軒目でした。 写真は当時のものです(狭い路地に建っていましたので全景が入りませんでした・・・腕もまだ未熟でしたし・・・)。 廃業が相次ぎかなり少なくなってしまいましたが、都内の銭湯密集地域の1つである荒川区の都電荒川線の荒川一中前駅から北側に100m弱、三ノ輪橋商店街(ジョイフル三ノ輪)の西の端から北側に30m程の路地・・・という抜群の立地でした(その昔は新開地と呼ばれていた地域とのこと)。古くは買い物を兼ねたお客で賑わった銭湯だったのでしょう。 大正時代の創業で(創業者のお孫さんの3代目まで続きました)、鬼瓦付きの立派な唐破風を冠した都内最古級(荒川区では最古)の宮造り銭湯でした(関東大震災や太平洋戦争の空襲も経験したはずです)。内部(特に浴槽)はそれなりに改装されていましたが、玄関の周りを含めた外観はほぼ昔のままでした。 もちろん番台形式で、格天井ではないもののきれいな木製の天井の脱衣所が立派な枯山水の庭に面しており、木製の天井で畳敷きの外側拡張部分から眺めながら涼むことができました。 浴室中央に聳える城の天守閣、男湯側に金閣寺?と欄干付きの橋、続く側壁部分に金色に輝く五重塔(金色タイル使用!)、手前が春の庭で遠景は山々・・・という実に見事な京風?のモザイクタイル絵がありました(女湯側も類似の構図でした)。 前項の、 荒川28 帝国湯 http://sentotanbonin.kai-seki.net/Entry/357/ ・・・の訪問のついでに現状を確認しに行きましたが(2012.3.8)、その後、解体され、更地となり、新たな建物の建設準備中になっていました。 自然災害の影響とはいえ、また1つ名銭湯が歴史の彼方に消えました。在りし日を偲びつつ、合掌!! なお、「1010 67 2004 / APRIL 特別企画1 銭湯密着型町歩き指南 大江戸湯の町めぐり レトロ系銭湯のメッカ 南千住 P.P.3~10」もご参照ください(東京都公衆浴場業生活衛生同業組合のHPからも電子版が読めます)。 PR |
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