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【2024/05/02 10:52 】 |
廃業銭湯の現況(大田区)・その5
なんやかんやですっかりアップがずれ込んでおりますが・・・。

大田69 壽湯(寿湯)
http://sentotanbonin.kai-seki.net/Entry/488/

・・・の訪問のついでに確認した周辺の廃業銭湯の現況です。

☆大田64 恵湯(大森西6-4-11)
京浜急行梅屋敷駅※の北方150m程の古くからの住宅地にありましたが、2008年6月頃?に廃業(同年6月下旬~7月中旬に解体)となりました。ネットに散在する情報を総合すると、千鳥破風を冠した東京型和風銭湯の正面脇増築版で屋号の書かれたシンプルな電気看板があり、後方にコンクリート製円筒型煙突が聳え、広々とした内部は下足ロッカーなどのアイテムを含め比較的に昔のままで、やや年季の入った中島盛夫氏画のペンキ絵(西伊豆?/富士は女湯側)が見事だったようです。既に痕跡はなく賃貸集合住宅になっていました。

※この辺りは北側の丘陵と南側の海に挟まれた温暖な気候の平地だったため平安時代には開け、江戸期文政年間(1818年~)の初めには東海道沿いにあった常備薬「和中散」の売薬所が梅を植えて休み茶屋(梅見の茶屋=梅屋敷)を設けたことから評判を呼び、地名の由来となりました。初代 歌川広重(うたがわ ひろしげ:寛政9年(1797年)-安政5年9月6日(1858年10月12日)…安藤広重(あんどう ひろしげ)の表記は正確ではない)が安政3年(1856年)2月から同5年(1858年)10月にかけ制作した連作浮世絵名所絵「名所江戸百景」にも「蒲田の梅園(春の部27景)」として描かれました。梅屋敷駅は品川~六郷橋(現在の六郷土手付近/1949年(昭和24年)廃駅)の延伸にともない1901年(明治34年)に開業し(最初は駅舎もなかったとか・・・)、明治後期には観光客で大いに賑わったそうです。
【参考:京急線普通電車の旅 Vol.28 梅屋敷編(京急電鉄)-適宜補足し幾つかの誤りは修正させていただきました】

在りし日の活況を思い浮かべつつ・・・合掌!!

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【2012/09/25 17:13 】 | 東京都 | 有り難いご意見(0)
大田69 壽湯(寿湯)
oota69-kotobukiyu.JPG引き続き、シンガポールのチャンギ国際空港からのアップになってしまいましたが(前項参照)、2012.9.8、休日を利用して、「大田69 壽湯(寿湯/蒲田3-8-6)」を訪れました。

銭湯お遍路280軒目です。

私は周辺の廃業銭湯の確認がてら京浜急行梅屋敷駅から歩きましたが(次々項参照)、もちろん京浜急行蒲田駅の方が近く(北に400m程)、多摩堤通り(東京都道11号線)の北に150m程入った名も無き?小さな商店街の中に建っています。

簡素な造りの東京型銭湯の正面フロント改造版で、温泉マークと屋号とサウナが2方向に書かれた煙突が横に聳え立ちます。薪で沸かしているようです(煙突の手前に山積みになっています)。

この銭湯の最大の特長である「丸風呂(後述)」も書かれた鮮やかな青の電気看板が脇にあり、上部のガラスにも屋号が書かれた玄関では、木札鍵の松竹錠の下足ロッカーとアルミ板鍵の松竹錠の傘立てロッカーが使われています。

自動ドアの奥がフロントと休憩スペースです。

脱衣所は飾り天井ながらフローリングの床の簡素なもので、普通鍵の松竹錠の脱衣ロッカーが使われており(鍵はフロントからお好みで持って行く方式)、「全国浴場組合の景品バスポスター(丸山清人氏 画の富士山+田村隆一の詩+銭湯のマナーのイラスト)」と今や懐かしい「銭湯キャンペーン大使 長山洋子さんのスペシャルスタンプラリーポスター(2010.2.10~4.30実施)」が貼られています。手前外側に花柄の配された壁タイルの水洗トイレがあります。

手前は石灯籠や一番の鶴の置物のある枯れ形式の小さな坪庭になっています(休憩スペースからも見えます)。

浴室は天井が大橋ブルーに塗られ、かつてペンキ絵があったと思われる部分も同様に大橋ブルーに塗られた板で覆われています。下部の壁タイルは比較的に新しく、よく見る「クラシックカーと女性」の洋風の青系パターンが正面壁に2つと中隔壁に1つあります。女湯側の湯気抜き窓からは煙突が見えます。

浴槽は東京では非常に珍しい中央配置の完全円形で(直径4m/丸風呂)、奧の約1/4が高温風呂、次いで左回り(反時計回り)に残りの約3/7が一続きのバイブラ風呂と低温風呂、同じく約3/7が座風呂3基、さらに同じく約1/7が電気風呂になっています(丸缶入りのお遣い物のお菓子をご想像ください)。中央に円柱型の湯口があり、高温風呂と他が混じり合わないように仕切りが組まれています。その上に薄い5角柱の浴槽の説明があります。外側手前にガス遠赤外線サウナ(無料)もあります。内側手前には脱衣所に入り込む形で簡素な混合栓でロングノーズの立ちシャワーが2基あります(壁に青いヨットやカモメのイラストがあります)。

カランは固定シャワー付きの中央がになった茶色ハンドルタイプの押し手で、内側9つ、奧9つ、外側8つに加えて、サウナ(前述)の奧の壁に1つだけあります。

黄色のケロリンの湯桶に加えて緑のM字椅子も1つだけ使われています。

珍しい円形風呂(丸風呂)を体験するだけでも、遠くから訪れる価値があるでしょう。是非!!

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【2012/09/17 20:39 】 | 東京都 | 有り難いご意見(0)
大田63 大森湯
oota63-oomoriyu.JPGなんとシンガポールのチャンギ国際空港からのアップになってしまいましたが※、2012.9.2、休日を利用して、「大田63 大森湯(大森西3-8-17)」を訪れました。

※EKSPRES SINARAN SELATAN(Train No.13:SENTRAL KUALA LUMPUR(Malaysia)9:00 Dep. – WOODLANDS(Singapore)16:00 Arv.)の座席は一番端でテーブルと電源があったので作業ができたのです(綴りは現地語に沿っています)。

銭湯お遍路279軒目です。

すっかり暗くなってしまいましたので、以前、通りがかったときに撮影した写真をどうぞ!

建て込んでいるので周囲の建物などが写り込むのはご容赦を!

京浜急行大森町駅西口からそのまま西に延びる商店街「大森町共栄会」を50m程進み、道2本北側に歩いた左手(西側)に建つ昭和後期?の煉瓦調の外壁のビル型銭湯です。色落ちで味を増した(元は赤字)「サウナ」の看板が2方向にある枠付き細円筒型煙突が後方に聳えています。2階は美容室のようです。

屋号とステンドグラス調の菱形2つ(どちらも電気が点きます)を配したひさしのある脇がガラスブロック壁の玄関では、アクリル戸でアルミ板鍵の松竹錠の下足ロッカーと松竹M型錠の傘立てが使われています。時節柄、「梅ちゃん先生」のポスターも貼られています。

自動ドアの奥がフロント、さらに外側奥が広めの休憩スペースになっており、日本庭園のプリントが貼られ、関取たちの大きな手形の額や金魚の小さな水槽が置かれています。

脱衣所は木床&洒落た飾り天井ながらシンプルで外側がサウナ用の休憩室として区切られています。ディンプル鍵の松竹錠の脱衣ロッカー(大型もあります)が使われています。

浴室は白い建材の張られた蒲鉾天井で、下部の壁タイルは比較的新しく、外側壁の一部はカラーを含むガラスブロックになっており、同じく外側壁に広告スペースも残されています。正面壁には竹林のプリントが貼られています。

浴槽は外側逆L字配置で内側から、日替り薬湯(イヴタスりんご…赤い湯…でした)、座風呂2基、手摺り兼用の金属パイプの仕切りを挟んで天然トルマリン風呂のバイブラ風呂が外側手前に続き、そして一段高くなった水風呂、簡素な混合栓でロングノーズの立ちシャワー(なぜか外への業務用のドアがあります)、4×4のボディーシャワーと列び、さらに脱衣所に入り込む形でサウナ(別料金/脱衣所側の壁は花を配したタイル)があります。内側手前に同様の立ちシャワーが2基あります。

カランは固定シャワー付きで内側7つ、7つ&7つの島の配置(外側はなし)ですが、古めの混合栓(KVK サーモスタット 112)に、これまた古めの小さな赤い平型の押し手の小型カラン(前の建物で使われていたもの?)が接続されているという変わり種です。

黄色のケロリンの湯桶が使われています。

周囲の住宅地に馴染んだ銭湯のようです。是非!

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【2012/09/17 20:31 】 | 東京都 | 有り難いご意見(0)
廃業銭湯の現況(大田区)・その4
大田66 浜の湯
http://sentotanbonin.kai-seki.net/Entry/483/

・・・の訪問のついでに確認した周辺の廃業銭湯の現況です。

☆大田65 第二松の湯(大森東2-1-5)
京浜急行平和島駅と大森町駅のほぼ中間、第一京浜(国道15号線)東側沿いの東海道海潮風(または「するがや」)通り(幾つかの商店街が連なっています)に面する、六郷用水とともにこの地域を灌漑し大正6年の直線化工事後は海苔舟も行き来した内川にかかる内川橋の袂にありましたが、2011.6.10付けで廃業となりました。2009.7.13に訪問したことがありますが(銭湯お遍路46軒目でした)、当時はこのようなブログを主宰するとは考えておらず、知識も技術も未熟でしたので、大変残念ながら写真は残っておらず、情報も不十分です。ネットに散在する情報などで多少補うと、懸魚や鬼瓦の付いた千鳥破風を冠した東京型銭湯の正面フロント改造版で(玄関上部に屋号入りの電気看板がありました)、後方には立派なコンクリート製円筒型煙突が聳えていました。脱衣所は木調の立派な折上げ格天井&磨き込まれた木床の風格ある造りで、浴槽は標準的な2槽式ながら内側深浴槽が円形のジェット風呂、そして銘はないもののおそらくは中島盛夫氏による「西伊豆(富士山は女湯側にある)」のペンキ絵がありました。周辺の古い住宅地図にはまだ残っていますが、既に複合ビルに建て替えられ、1階でコインランドリーのみが営業を続けていました。

☆大田67 福富湯(大森中2-19-17)
京浜急行梅屋敷駅の東方400m程の第一京浜(国道15号線)と産業道路(国道131号線)の中程、

梅屋敷東通り商店街
http://e-umeyashiki.com/

・・・の脇(道1本南側)にありました。はっきりした廃業時期はわかりません。ネットに散在する情報を総合すると、簡素な造りの広々とした番台式の東京型銭湯で、後方にはコンクリート製円筒型煙突が聳えていました。麦飯石風呂で、囲われてスチームサウナ様になった浴槽もあり、「浴室中央に赤富士&男湯側に腰蓑を着けた男と天女?」という大胆すぎる「羽衣伝説的構図」?のモザイクタイル絵があったようです(女湯側は不明)。既に痕跡はなく、跡地には医院が建っていました。

加えて、東京銭湯お遍路MAP(平成19年8月末現在)以降に掲載のない、東京銭湯マップ2002(平成14年6月10日現在)の「大田区④18 辰巳湯(大森東4-10-15)」ですが、現況は未確認ながら(時間経過を考慮すると痕跡はもうないでしょうか)、周辺の古い住宅地図にはまだ残っています。ネットを検索しても銭湯の状況は伺い知ることができませんでした。

在りし日の銭湯たちを思いつつ、合掌!

以上、羽田空港に向かう東武スカイツリーライン(伊勢崎線)の車内からのアップでした(理由はいずれわかります)。

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【2012/09/14 20:34 】 | 東京都 | 有り難いご意見(0)
大田66 浜の湯
oota66-hamanoyu.JPGまだまだアップが追い付いておりません(頑張りま~す)。2012.9.1、休日を利用して、「大田66 浜の湯(大森東5-21-1)」を訪れました。

銭湯お遍路278軒目です。

私は周辺の廃業銭湯の現況を確認しながら(次項参照)、京浜急行平和島駅から第一京浜(国道15号線)東側沿いの東海道ミハラ通り(幾つかの商店街になっています)を内川橋で内川を越えて500m程南進し、突き当たった第一京浜を含む大森警察署前交差点から産業道路(国道131号線)をさらに600m程南進し、大森東四丁目交差点から左折(東方向)して400m程(大森商栄会という商店街の中にあります)・・・といったルートで歩きましたが、もちろん京浜急行大森町駅から同様に産業道路経由の方が近いですし、住宅地を迷わずに歩けるならば京浜急行梅屋敷駅から第一京浜を200m程北上して東進した方がさらに近いようです。未確認ながら、地図によれば、東京モノレール昭和島駅(西口)から海を越えてのアプローチも「徒歩であれば??」可能のようです。

昭和後期あたり?に建て直されたと思われるビル型銭湯で(上階は賃貸マンションになっています)、側面上部の銭湯マークや玄関脇の大判白タイル部分のに加えて正面上部に「5羽の鶴が飛ぶ富士山(色調からすると夕景色?)」の大きなペンキ絵が描かれています(以前は「椰子の木が生える島もある南国の海上を飛ぶジェット機」だったらしい)。高い煙突はないようです。外壁には銭湯マーク屋号の書かれた電気看板や「コミュニティー銭湯 浜の湯」と書かれた電光営業案内もあります。

煉瓦調の壁で囲まれ瓦の飾り屋根付きの透明プラスチック製ひさしのある玄関では木札鍵の横型松竹錠の下足ロッカーとアルミ板鍵のさくらの傘立てロッカーが使われており、内壁には「浜」「の」「湯」の三文字の凝った木板がはめ込まれ(建て直した際に造ったとのこと・・・フロント談)、上がり場の足拭きマットもHamanoyuの文字入りです。

自動ドアの奧が「雲の浮かぶ空」の柄のクロス張り天井のフロントと休憩スペースでテルマエ・ロマエ版の「入浴する前にごらんください Look! Before you go in...(残念ながらラテン語併記ではありません)」、「'10と'11の風呂屋の富士山詣での記念品バスポスター」、「新潟民謡 弥彦山唄の大型バスポスター※」が貼られています。

※たまに見かけるのですが由来がわかりません。ご存じの方のご連絡をお待ちしています。

簡素な脱衣所も同じ「雲の浮かぶ空」の柄のクロス張り天井で、近くにある羽田空港を意識されたのか、その周囲の青く塗られた飾り部分にはたくさんの飛行機が描かれています。ディンプル鍵の松竹錠の脱衣ロッカーが使われていますが、下部の棚に黄色いプラスチック製長方形籠も置かれています。中央にゴザ敷きの縁台があります。

やや小型の浴室は白系プラスチック建材による逆船底天井で、壁タイルは比較的に新しく(同心円状のカラーパターンなども配されています)、外側壁の浴槽横はガラスブロックになっています。

正面壁は(多分)富士山(モスグリーン)と雲(白)が描かれた抽象的なレリーフタイルになっています(女湯も同じです)。

浴槽は外側逆L字配置で奥側が背面に岩入りの格子状湯口のあるバイブラ付きのガリューム石風呂(外壁の電光営業案内の表記による)の浅浴槽、おそらく水カラン用と兼用のパイプの仕切りを挟み、外側手前に回って座風呂2基が並んでいます。外側手前に機械室が脱衣所に入り込んだ(乳白色のレリーフタイルの壁になっています)ガス遠赤外線中温サウナ(無料/浴室部分の壁に水飲みあり/脱衣所側に小窓あり)があります。内側手前に立シャワー(外壁の電光営業案内の表記による)2基及びその向こうに一段高くなった水風呂が並びます。

カランは固定シャワー付きの銀色ハンドルタイプの押し手で、内側5つ(+一番奥は丸鏡と固定シャワーの跡のみ…最初から設置しなかった?)、2つ(水風呂のために少なくなっています)&4つの島、外側6つの配置です。

黄色無地のケロリン風湯桶が使われています。

すっかり埋め立てが進んでしまいましたが、その名の通り昔は海に近く(現在でも海まで500m程で貴船水門もすぐ近くです)、かつては海苔漁師たち、そして六郷用水で灌漑された田畑のお百姓さんなどを癒していたのではないでしょうか。そんな歴史を想像しながらのひとっ風呂をお楽しみください。

以上、本日の銭湯に向かう途中の東武スカイツリーライン(伊勢崎線)の車中からのアップでした。

追記(2012.10.6)
「1010 67 2004 / APRIL 東京銭湯 ちょいとひとっ風呂 P.47」によると(東京都公衆浴場業生活衛生同業組合のHPでオンライン版も読めます)、やはり正面上部に描かれた大きなペンキ絵の前作は「椰子の木が生える島もある南国の海上を飛ぶジェット機」で、当時は「飛行機のお風呂屋さん」として近所の子どもたちに親しまれていたとのこと。前身の公衆浴場を昭和30年代に先代が購入し、周囲は海苔の浜の町から埋め立てによる住宅地に大きく変貌を遂げたようです。

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【2012/09/13 16:03 】 | 東京都 | 有り難いご意見(0)
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