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スケジュールの関係とブログのサーバ・メンテナンスのためアップが遅くなりましたが、「湯フェス VOL.6@ふくの湯」で司会の町田忍氏が話題にされたこともあり、その翌日(2011.12.18)、休日を利用して、あまりにも有名な「荒川32 斎藤湯(東日暮里6-59-2)」を訪れました。
銭湯お遍路235軒目です。 日暮里駅至近のビル街の側というか、日暮里繊維街の隣というか・・・に建つ、昭和35年建築の簡素な外観の東京型銭湯の正面フロント改造版です(2代目の建物とのこと・・・ご主人は3代目)。玄関上部は控えめながら「鬼瓦を留めた千鳥破風的飾り屋根」になっています。何と煙突は背後のビルを這って立っています。 レトロ調のタイル・木製引き戸・上部の欄間と玄関周りはほぼ昔のままのようで、伝統的な「わ(沸いた)」&「ぬ(抜いた)」の木板が下がっています。屋号が染め抜かれたオリジナルの紺色暖簾を潜った玄関ではSAKURA-Gのプラスチック板鍵の下足ロッカーとさくらのアルミ板鍵の傘立てロッカーが使われています。 屋号と営業案内の入ったガラスの自動ドアの奥が、格子状の天井飾りのある休憩スペースとフロントです。 休憩スペースには金魚の大きな水槽があります。様々な絵や書や江戸時代の銭湯の図などが飾られています。なぜか大小様々なクマのぬいぐるみもあります。アップライトピアノは銭湯コンサート用でしょうか。 おかめとひょっとこのお面や屋号入りの提灯で飾られたフロントには町田忍氏を始めとして多数の方々の色紙があります。 船底型の飾り天井とよく磨かれた木床の脱衣所ではSAKURAⅢの普通鍵の脱衣ロッカーが使われ、ネオンテトラの大きな水槽が置かれています。利用者アンケートのリクエストに応えてドライヤーは無料サービスです。大きな木製の温度計には「東京セイコー会加盟店 一心堂時計店」の広告があります。女湯側にはお釜型ヘアドライヤーもあるようです。 脱衣所外側の木製引き戸の向こうには、流水付きの鯉のいる池や石灯籠や岩のあるそれほどの大きさはないものの立派な庭があり、木製の縁側の同じく木製のベンチで涼むことができます(手前側にトイレがあります-手洗いが白い丸形陶器製)。 両端のアルミサッシのドアから入る浴室は非常に広く、天井と壁はいわゆる大橋ブルーではなく乳白色系の塗りになっています。浴室中隔壁には枝垂れた花の柄のタイル、外側壁と手前壁には緑の雲状?(植物?)のタイルが使われています。正面壁からやや外側壁にかけてはモザイクタイルによる幾何学模様になっています。床やカラン周りのタイルは新しいものです。 浴槽は普通配置の2槽式で、内側深風呂(あつめ)は恵那温浴剤によるラジウム鉱泉、外側浅風呂(ぬるめ)は超音波気泡(ジェット)3基付きです。 カランは茶色のハンドルタイプの押し手で、内側6つ(奥5つは固定シャワー&手前1つはロングシャワー)、6つ(同)&6つ(同)の島、外側6つ(固定シャワーの痕跡のみ)の配置です。 さて・・・、この銭湯が世界的にも広く知られているのは、言うまでもなく「最後の流し(=三助/Public Bathhouse Back Scrubber)橘 秀雪さん」の存在です。海外を含めた多数のメディアで紹介されています。昭和13年(1938年)のお生まれで、15歳で富山県氷見市から上京し、斎藤湯一筋に20万人以上の背中を流し続けて59年間という74歳です。 代金の400円をフロントで支払うと「ながし 斎藤湯」と書かれたしぶい木札が渡され、これに水を付けて鏡に貼り付け湯に入って暖まって出ると(フロントからベルによる合図・・・男湯は1回&女湯は2回・・・も送られます-フロント横の脱衣所入口に飾られた拍子木(レプリカ)は江戸時代に使われていたものだそうです)、頃合いを見計らって橘さんが登場します。白いランニングシャツに紺色の短パンといういつものスタイルで、大きめの湯桶と垢すりを携えてやってきます。緑のM字椅子もありますが(湯桶はもちろん黄色のケロリンです)、流しを頼んだときには背の高いプラスチック製の椅子がよいようです。背中から両腕の垢すりに加えて同部分の入念なマッサージを計15分間程堪能できます。 お若い方や女性の方でも大丈夫。決して他人をとやかく言える私じゃありませんが(おそらくは類似の系統!?)、けいおん!グッズを携えたアキバ系の若者も来ていました。 手ぶらセットもありますので、「気の向くままに会社帰りに流し付きでひとっ風呂」ってのも粋で宜しいのではないでしょうか。是非是非! とっても全てを紹介しきれませんので、詳しくは公式HPをご参照ください。 http://saito-yu.com/ PR |
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