× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 |
前項の「千代田2 梅の湯(神田神保町2-8-2)」を訪れたついでに、北北東方向に500mほどの場所、銭湯ファンなら誰でも知っているであろう日本初のペンキ絵(銭湯背景画)が描かれた「キカイ湯(東京都千代田区猿楽町2丁目7番1号)」の跡地を訪ねてみました。
神田女学園高等学校やカトリック神田教会を始めとした歴史的建造物が散在する趣のある地域にあります。 明治17年(1884年)に初代(東 由松氏:1852-1917)が創業し、屋号は汽船のボイラー(機械釜)を他に先駆けて取り入れたことに因んだもので、大正元年(1912年)に2代目(東 雄三郎氏:1880-1953)が、旧キカイ湯の隣に増築した新キカイ湯の浴室に新規発想によるペンキ絵を掲げ、公衆浴場史(昭和47発行)に「・・・ところが、この絵が満都の評判となり、市内各湯もこれにならって思い思いの絵をかかせて浴客を喜ばせ・・・」と記載されたような評判を取り、大正12年(1923年)の関東大震災と昭和20年(1945年)の戦災の2回全焼し、それでもたくましく営業を続けたものの、時代の変化と都市化の波には勝てず、3代目(東 堯&梅子夫妻)のときの昭和46年(1971年)、周囲に惜しまれつつ87年の歴史を閉じた・・・と、2代目の名に因む東雄ビル(TOHYU BLDG.)の入口脇に由来を記した看板がそっと建っています(平成4年(1992年)3月設置)。 ビルの壁面には、千代田区による「まちの記憶」保存プレートが掲示されており、往時の内部写真?(ペンキ絵の一部と銭湯広告と入浴する人々が写っています)も付いています。 <参考> 千代田区総合HPの該当ページ http://www.city.chiyoda.lg.jp/service/00099/d0009916.html 銭湯の歴史を語るに外すことのできない場所でしょう。 是非一度は実際に訪れてみることをお勧めします。 PR |
|
トラックバックURL
|
|