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しばらくは従来通りに営業していたらしいのですが、東日本大震災の被害(配管の破損)により、2012.1.5に営業を終え、同1.8.にお別れイベント※が行われ、惜しまれつつも廃業となった模様です。 ※町の記憶PROJECT 南千住1000枚の記憶 http://www.sakao-lifeworks.com/minamisenju/index.html ・・・のワークショップの1つでした。往時の当銭湯の内外の写真も幾つか掲載されています。なお、銭湯の庭の池は大名屋敷の池の名残だったとか・・・。 当ブログ及び同名のHP開設前の2009.11.8に訪問させていただきました。 銭湯お遍路64軒目でした。 写真は当時のものです(狭い路地に建っていましたので全景が入りませんでした・・・腕もまだ未熟でしたし・・・)。 廃業が相次ぎかなり少なくなってしまいましたが、都内の銭湯密集地域の1つである荒川区の都電荒川線の荒川一中前駅から北側に100m弱、三ノ輪橋商店街(ジョイフル三ノ輪)の西の端から北側に30m程の路地・・・という抜群の立地でした(その昔は新開地と呼ばれていた地域とのこと)。古くは買い物を兼ねたお客で賑わった銭湯だったのでしょう。 大正時代の創業で(創業者のお孫さんの3代目まで続きました)、鬼瓦付きの立派な唐破風を冠した都内最古級(荒川区では最古)の宮造り銭湯でした(関東大震災や太平洋戦争の空襲も経験したはずです)。内部(特に浴槽)はそれなりに改装されていましたが、玄関の周りを含めた外観はほぼ昔のままでした。 もちろん番台形式で、格天井ではないもののきれいな木製の天井の脱衣所が立派な枯山水の庭に面しており、木製の天井で畳敷きの外側拡張部分から眺めながら涼むことができました。 浴室中央に聳える城の天守閣、男湯側に金閣寺?と欄干付きの橋、続く側壁部分に金色に輝く五重塔(金色タイル使用!)、手前が春の庭で遠景は山々・・・という実に見事な京風?のモザイクタイル絵がありました(女湯側も類似の構図でした)。 前項の、 荒川28 帝国湯 http://sentotanbonin.kai-seki.net/Entry/357/ ・・・の訪問のついでに現状を確認しに行きましたが(2012.3.8)、その後、解体され、更地となり、新たな建物の建設準備中になっていました。 自然災害の影響とはいえ、また1つ名銭湯が歴史の彼方に消えました。在りし日を偲びつつ、合掌!! なお、「1010 67 2004 / APRIL 特別企画1 銭湯密着型町歩き指南 大江戸湯の町めぐり レトロ系銭湯のメッカ 南千住 P.P.3~10」もご参照ください(東京都公衆浴場業生活衛生同業組合のHPからも電子版が読めます)。 PR |
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まゆゆ(M):いいえ。ちっともつまんなくなんかなかったわ。私、埼玉県出身だから待ち合わせた北千住駅には何度も友達と行ったことがあるけど、歴史はあんまり得意じゃないから、北千住駅から歩いた古い商店街(本町センター商店街~千住仲町商店街=かもん宿商店街)なんかが江戸時代の道(日光街道)だったなんてことも知らなかったの。松尾芭蕉の「奥の細道」なんて教科書に出てくる場所もこんな身近にあったのね。 S:東京は本当に歴史的な都市なんだよ。でも、千住大橋で隅田川を渡って足立区から荒川区へ・・・なんて、調子に乗ってずいぶん歩かせちゃったね。疲れなかったかい。寒かったし・・・。 M:途中の三ノ輪橋商店街(ジョイフル三ノ輪)で食べ歩きさせてもらったし、最後が銭湯「荒川28 帝国湯(東日暮里3-22-3)」だったから大丈夫よ。ところでSはもうたくさんの銭湯に入ってるんでしょ。 S:東京だけでもこれで252軒目になるよ。台湾の1軒を含めて、合計400軒を超えたくらいかな。この業界ではまだビギナーの方だけど・・・。 M:それにしても、なんだか神社かお寺のような立派な銭湯だったわ。 S:大正5年創業で都内でも最古級の銭湯の1つさ。宮造り建築という東京の銭湯の定番の造りで、玄関の上には唐破風っていう丸みを帯びた立派な瓦屋根もあったでしょ。鬼瓦付きで下の懸魚っていう飾りには「鬼蔦系?の家紋(詳細不明)」もあったね。後ろ側は瓦屋根じゃなかったけど、塀も含めて外観はほぼ昔のまんまじゃないかな。高いコンクリート製の円筒型煙突(先端がいい具合に煤けていました)があるのも特徴の1つさ。お湯が柔らかいとされる薪で沸かしているようだったね。 M:玄関も昔のお祖母ちゃん家みたいだったの。 S:左右に古い緑系のタイル壁があり上に昔の字体(ひらがな)で屋号の入った欄間がある入口は昔通りの木製引き戸で、鍵の代わりの心張り棒まで木製だったのにはさすがに驚いたよ。上の灯りは新しいけど、雰囲気に合うものになっていたね。同じく昔の字体(ひらがな)で白く屋号を染め抜いたオリジナルの紺色暖簾がかかっていたけど、あんな具合に縦に長いタイプは東京では珍しいんだよ。脱衣所の天井に合わせた木製の天井で、三和土は緑系の市松に近い柄で、靴を脱いで上がったところも立派な木製だったね。さくらの木札鍵の下足ロッカーやさくらのアルミ板鍵の傘入れロッカーも定番なのさ。 M:よく見てるわねぇ。番台っていうのはちょっと恥ずかしかったけど、引き戸を開けて入った脱衣所も、とってもいい雰囲気だったわ。 S:白壁、そしてしっかり手入れされたぬくもりのある木床で、あの重厚な木調の天井は折上げ格天井というんだよ。外側に飾りがあるのはさらに豪華なものなんだ。入浴者心得が昭和27年6月と60年近くも前のものなのもなかなかだよ。 M:お父さんお母さんというよりもお祖父ちゃんお祖母ちゃんの時代のものだわ。 S:サイドの板が雲の形をしている木製の番台はもちろん、その上の棚や小物箪笥も昔のままだったし、立派な柱時計や「白バラ石鹸本舗」などから贈られた大入りの額も飾られていたね(男湯側1枚&女湯側2枚)。古いタイプのSAKURAの大きめアルミ板鍵(一部はSAKURAⅡのアルミ板鍵)の脱衣ロッカーが使われていたね。男湯には浅草の懐かし映画の案内が貼られていたよ。外側に拡がったタイプの脱衣所で、浴室横には石灯籠のある庭、手前から外側にかけては石灯籠と「石橋と噴水があり鯉のいる池」のある庭があり、どちらもよく手入れされていて、後のは木製の縁側で涼めるようになっていたね。その先のトイレは昔の鍵の閂も木製の木戸だったりするけど、ちゃんと水洗にはなっていたね。 M:浴室も天井が高くて広いのね。 S:窓枠や梁や飾りがピンクなのは変わり種だけど、大橋ブルーという青系ペンキで塗られているのは定番なのさ。湯気抜きという天井の上の部分、側壁の上の部分、釜場という浴室後方の作業場への戸、そして浴室と脱衣所の境の戸がアルミサッシになっている以外は木製のままというのも実に味があったね。戸や窓に使われている模様ガラスも今は手に入らない年代物だと思うよ。脱衣所の浴室への入口付近にあった市松模様の白と青系の床タイルも昔のものだよ。 M:浴槽なんだけど、すごく深くてビックリしたのよ。私、背、高くないから・・・(まゆゆの身長は154cmとのこと)。 S:そうか。一瞬「キャ」って聞こえたのはこれだったんだね。普通の外側奥配置だけど3槽式になっていて、一番内側は「都内でも有数の深さ」で、ぼくもびっくりしたよ。一番外側の薬湯もほとんど同じ深さだったね。真ん中のジェットが2基あるところは普通の深さだったけど・・・。内側の浴槽には岩状の流れ落ちる湯口、中央の浴槽には岩状の湧き上がる湯口もあったね。 M:真ん中に富士山のある大きな絵が描いてあったわね。 S:あの雄大な絵は銭湯背景画またはペンキ絵っていうのさ。描かれた日付がなかったけど、あの特徴的な「早川」というサインは惜しまれつつ平成21年4月13日に亡くなられた「早川利光さん」という銭湯背景画絵師のもので、男湯は飛び散る波飛沫が豪快な西伊豆、女湯は美なんとかだけど残念ながら読めなかったよ(おわかりの方はご連絡ください)。相当年月が経っているけど大切にされているようだったよ。女湯に人参に乗るウサギ、男湯に水上飛行艇が描かれているのは子ども向けのご愛敬だろうね。下に広告スペースが残っていて、「赤文字登録 千葉 實母散薬湯」と「強力 超音波浴泉 共立式」が貼られていたね。 M:浴槽の周り(背面~側面)にあった鯉や金魚の絵はとってもきれいだったわ。 S:鈴栄堂九谷の章仙作という名品のタイル絵で、あのサイズのものを三六角タイルというのさ。鯉は「客よ来い」の洒落で、他に金魚が泳ぐ、松や楓のある池の絵だよ。男女浴室の中隔壁(上に行灯的な灯り)には「岸に桜や松があり帆掛け船の浮かぶ湖」のモザイクタイル絵もあったよ。 M:水やお湯の蛇口は、近くのスーパー銭湯とは違って、とっても普通だったわ。 S:カランっていうんだけど、押し手がそこそこ古い赤と青のハンドルタイプだったね。内側の6つのみに固定シャワーがあったけど、種類がバラバラなのは板状鏡と一緒に後から付けて修理を繰り返したからなんだろうね。4つ&4つの島はシャワーも鏡もなかったし外側の5つは後から付けた板状鏡しかなかったし・・・。もちろんシンプルなのが味なんだけどね。 M:黄色のケロリンの湯桶はしっかりあったわ。 S:古めの黄色のプラスチック椅子と合わせて入口横にきちんと積んであったのは、常連さん達がこの銭湯を大切にしている証拠なのさ。 M:ちょっと残念だったのは、お湯がとっても熱かったのよね。 S:東京の下町の銭湯はあつ湯だからねえ。やり過ぎない程度に埋めてもいいんだけど、なぜか常連もビックリの高温の日だったみたいで、釜場から木製の湯揉み棒をもった女将が登場したよ。 M:そうそう。女湯側の脱衣所に裏庭から切ってきた大きな桜の枝が生けてあって、もう咲いていたのよ。見えた? S:男湯側からも見えたよ。男湯側の紅梅と白梅の鉢植えも咲いていたよ(開花前でしたが中国桜の桶植えもありました)。この心遣いが粋だねぇ。これまで何度もテレビや雑誌などで取り上げられたことのある銭湯だけど、それを自慢することがない・・・っていうのもご主人の心意気を感じるよ。懐かしマンガがいっぱいあって碁盤や将棋盤も置かれていたから、きっと常連が長居してくつろげるいい銭湯なんだろうね。 M:なんだかレトロ銭湯って、とっても気に入っちゃったわ。開放感があってストレス解消に最高なんだもの。また連れてってね。 S:うん。いつでもOKさ! ・・・というわけで、いつも通りの紹介文では当ブログご常連の方々もそろそろ飽きていらっしゃったのではないかと思い?、Au携帯のLISMO Playerに仕込んだ「AKB48 Team B&渡り廊下走り隊のまゆゆこと渡辺麻友ちゃん」のソロデビュー曲「シンクロときめき」をエンドレスBGMにして散策しましたので(イヤホンをして歩くときには周囲に十分ご注意ください!)、こんな妄想?文章にしてみました(ファンの皆様ごめんなさ~い・・・銭湯や地域情報とまゆゆの基本情報以外はもちろん全くのフィクションです・・・本人の話し方とはおそらくかなり違いますよ~)。 渡辺麻友 OFFICIAL WEBSITE http://www.watanabemayu.jp/ でも・・・こんな形のバーチャルデートっていう銭湯ライフはいかがでしょうか。 因みに、最寄りはJR常磐線三河島駅で、その東南東400m程の町工場が散在する古くからの下町のなかにあります。 |
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ぶらり湯らりスタンプらり~(江戸川区) http://sentotanbonin.kai-seki.net/Entry/264/ ・・・は終了しましたが、江戸川区内の銭湯で400円で販売中です。 宜しければお買い求めの程・・・。 |
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当酒場は雑誌等での掲載も多く、その筋では広く知られており、店としても遠くからのお客も歓迎するという姿勢でしたので、特別にご紹介します。 因みに、「自身の嗅覚で見つける」のが楽しみの1つである上、雑誌などで紹介されて「荒れて」しまう酒場も散見されますので、私自身は雑誌等は読まず、本当にぶらりと立ち寄ることにしています(そんなこんなで見つけた「いつもの店」が今や都内や近県を含めて数十軒・・・)。 では、ご紹介です。 『カネス(カタカナのスにカネ型)酒場(または大衆酒場 カネス/一之江6-19-6)』 前項の「江戸川48 竹の湯(一之江7-32-15)」から今井街道を北西方向に300m程・・・にあります。 昭和7年創業とのことで(店内に昭和39年当時の藁葺き屋根の店舗のモノクロ写真があります)、店内は昭和30年代そのままの雰囲気を保っており(三和土及び木製のカウンターや椅子)、御年92歳の女将が店を取り仕切っておりました(お話しを伺うだけでも価値があります)。 酒も肴もシンプルかつ激安で、昭和そのもののラーメン・ワンタン・ワンタン麺も驚愕の¥400です。 詳しくは、各種「飲食店紹介サイト」や「個人のブログ」に様々な写真付きで紹介されていますので、ググってみてください。 裏の細い道が、かつての「城東電車江戸川線」等の電車道で(城東電車 昭和27年 東小松川-今井・・・のモノクロ写真があります)、「トロリーバス(モノクロ写真があります)」は現在の今井街道を走っていました。 最近、なぎら健壱さんも雑誌の取材で立ち寄られたとのことで、色紙が残されています。 繰り返しますが、「江戸川48 竹の湯(一之江7-32-15)」との梯子をお勧めします。 <参照> 江戸川48 竹の湯 http://sentotanbonin.kai-seki.net/Entry/353/ |
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