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【2024/04/25 12:48 】 |
埼玉県さいたま支部(桶川市)408 梅の湯(梅乃湯)
saitama-okegawa-408-umenoyu.JPG既に一昨日(2012.6.28)になりましたが、久し振りの平日休みを利用して、紅花で有名な(江戸時代は最上地方に次いで日本第2位の収穫高だったとのこと)旧中山道第6番目の宿場町「武州(武蔵国)桶川宿」であった桶川市にある、「埼玉県さいたま支部(桶川市)408 梅の(乃)湯(南1-6-10)」を訪れました。

埼玉県35軒目になります。

JR高崎線桶川駅東口から北東に延びる昔ながらの商店街(埼玉県道134号線)を200m程進み、旧中山道(埼玉県道164号鴻巣桶川さいたま線)の1本手前の路地を右折してすぐにある、大正11年創業・建築(後に増築・改修…後述)の平入り形式の小型銭湯です(以後、各種情報はかなりご高齢とお見受けするご主人にお聞きしました)。温泉マークと「美と健康の泉 超音波温泉」と屋号(梅乃湯)の書かれた電光看板がありますが、上部の湯気抜き部分を始めとして相当部分は木造のままで(隣の住居部分も木造!)、後部に低めの枠付きコンクリート製細円筒型煙突が立っています。

周囲は古くは江戸期からの建物が散在する歴史的地区で、新たに開発された桶川駅西口側と対照的です。隣接する浄土宗 浄念寺の朱塗りの仁王門(山門)は元禄14年(1701年)に再建されたもので(新編武蔵風土記稿に記載)、上部の梵鐘は寛保元年(1741年)に鋳造されたものが第2次世界大戦時に供出となったため昭和40年(1965年)に再鋳造されたもの、楼下の左右一対の仁王像(阿形像と吽形像)は明和5年(1768年)の開眼とのことです(掲示版より引用)。

間に「超音波温泉 梅乃湯(と男女表示)」と書かれた簡素な看板のある昭和の香り漂う男女別の入口を、それぞれにある屋号(梅の湯)が染め抜かれた年季を感じさせる色褪せたオリジナル紺暖簾(3条ですが真ん中が捲られています)を潜って入ると、三和土からそのまま上がる脱衣所になっています。

階段状の踏み台で上がる低めの木製番台は下部が下足棚になっており、座面は畳敷きのようです。木札鍵の松竹錠で全体も木製の時代を感じさせる下足ロッカーもあります。

脱衣所は床や天井が木製の簡素なもので、浴室から1mあまりのところに境目があります(理由は後述)。外側奥にバックヤードへの戸があります。アルミ板鍵の松竹錠の脱衣ロッカーと籐製の脱衣籠が4つ使われています。松竹M型錠の丸形傘立ても現役で使用されています。ぶら下がり健康器は物干し化しているようです。中隔壁の大きな鏡は寄贈されたものです。手前側の木棚に自由に道具が置けるシステムで大量の道具が溢れています(常連は多いようです)。

埼玉県公衆浴場業「環境」衛生同業組合と埼玉県公衆浴場業合理化相談所による「健康をつくる近代化浴場」の掲示は昭和42年10月のものです。対照的に地元小学生の手書きポスターも貼られています。

外側のトイレは水洗化されていますが、天井は古い木製で床は青系マーブルタイルなどレトロ感が一杯です。

浴室は下部が改修されてヨットや鴎(かもめ)や砂浜に置かれた小舟の柄の配された紫系洋風タイルになっていますが、上部は昔のままで、壁や天井は木製、戸や窓の多くも木製のまま残されています。中央が縦長の湯気抜きになっていますが(天井部は金属トタン…少々錆が見えます)、脱衣所の境目部分まで食い込んだ形になっています(理由は後述)。手前側以外の3方には窓が配置され煙突や樹木が見えます。浴室中央に前後を分けるように木製の梁(補強のための金属パイプが中央縦に立っています)があります(理由は後述)。それらの木製及びトタン部分は郷土資料館などで見るような鶯色に塗られています。

浴槽は通常の外側奥配置ですが、内側がバブルのある深い部分&外側がジェット1基のある浅い部分になった1槽式です。

カランは固定シャワー付きの銀色ハンドルタイプの押し手で、内側と外側に7つずつと浴室中央部に4面にカランが1つずつある約60cm角の正方形の島(シャワーも鏡もありません)が斜に配置されています。

黄色のケロリンの湯桶は十分にあるのですが、椅子はプラスチック製の丸形と角形を合わせて7つのみです。

小さなペンキ絵がありますが、傷みが進んでいるため男湯はもはや何の絵だったのか判別できず(当然に作者も描画年月日も不明です)、女湯にはなんとか白い灯台と鴎(かもめ)が見えます(潮岬あたりでしょうか…ご存じの方はご連絡ください)。最下部に「美容と健康の素 オゾン温泉?」の文字が辛うじて判読できます。ペンキ絵自体の内側下部に「医院・時計眼鏡店・呉服屋・料理屋」の4つの広告があるのですが、市内局番が3桁なので驚くことに現役のようです。

さて、問題の増築・改修前ですが、実は脱衣所の境目部分から浴室中央部の梁までの大きさで(現在の1/3程度)、男女それぞれ浴室中隔壁に沿って小さな浴槽があり、カランはなく浴槽から直接汲み出して使うスタイルだったとのことです。脱衣所も非常に狭いものだったようです。

水戸のご老公が「紅花の独占とかわいい庄屋の一人娘を狙う藩役人(代官?)と悪徳御用商人の悪事を懲らしめ、まじめな青年(お百姓)との恋を実らせ、民衆には平和をもたらして大団円」なんて妄想?に浸りつつ(当然ながら架空の話です…黄門様ご一行が訪れる度に悪代官と悪徳商人なのは不幸ですなぁ…)、湯船から見上げる浴室上部の眺めは絶景です。

大名の定宿として本陣・脇本陣を備え、交通・経済の要所として栄華を誇った桶川の歴史に想いを馳せてのひとっ風呂はいかがでしょうか。

遠くから訪れる価値の高い銭ちゃん中級者以上向け?の銭湯です。是非!!!

注)16:00~22:00と営業時間が比較的短く、週2日(日・月)が定休になっています。ご注意の程・・・。

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【2012/06/30 13:27 】 | 埼玉県 | 有り難いご意見(0)
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