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※中川(旧中川)の平井の渡しから四股(よつまた/現在の荒川と中川の間の土手のあたりにあった)で元佐倉道(旧千葉街道)と交差して、東小松川村、西一之江村、東一之江村を経て旧江戸川の今井の渡し(対岸は千葉県)に達する道筋。江戸時代初期には成立していたが起源は不明。江戸中期以降は庶民の成田山参詣路の1つでもあった。都電やトロリーバスが走っていた時期もあります*。 銭湯お遍路251軒目です。 実はこの道こそ、大正14年12月31日に城東電車江戸川線(今井線・一之江線と呼ばれる場合もあります/東荒川~旧今井橋)として開通し、東京乗合自動車株式会社、次いで東京地下鉄道株式会社と合併後、昭和17年2月1日に東京市に買収され市電に編入され、さらに都電26系統(東荒川~今井橋)が走っていた電車通りで、昭和27年5月20日から昭和43年9月28日までは現在の今井街道をトロリーバス101系統(上野公園~今井)が走っていました(*)。 <参考(素晴らしいページです)> なつかしの鉄道写真館~城東電車江戸川線とトロリーバス~ http://www.geocities.jp/glock1320031/sub9-3.htm やや簡素な宮造り銭湯の前方フロント改造版で、周りには未舗装地も多く、後方にはうっすらとサウナの文字の残るコンクリート製円筒型煙突が聳え立ちます。壁には「露天岩風呂」と「サウナ」の文字があります。 数段昇る形で2階自宅?への階段と並ぶ玄関に入ります。SAKURA-Gの小さめ木板鍵(一部はプラスチック鍵)の下足ロッカーとTOKYO MOMのアルミ板鍵の傘立てが使われています。 自動ドアの奥がフロント(FRONTと表示)と休憩スペースです。様々なぬいぐるみや非売品のお湯の富士くんに加えて、「夕刊フジの記事(平成10年1月18日)☆」「讀賣家庭経済新聞の記事(昭和62年4月30日(木)・・・入浴料(大人)が¥260!)」「雑誌(詳細不明)の特集記事(カラー)」「TBS 100人フロオケ ロケ記念の色紙」が飾られています。 ☆同時に「大田71 ゆ~シティー蒲田(蒲田1-26-16)」「新宿8 世界湯(高田馬場3-8-31)」「中野20 アクア東中野(東中野4-9-22)」「品川15 宮城湯(西品川2-18-4)」「目黒14(2002版) ポカポカランド鷹番の湯(鷹番2-2-1)…廃業」「杉並区1-21('94版) 白山湯(成田東2-28-11)…廃業」も掲載されています(いずれも未訪問)。 フロントの両脇のおかめとひょっとこによる表示の奥が、後に改築されたと思われる比較的新しい脱衣所です。木床風の建材による床で、同じ建材のベンチもあり、中隔壁には花型のライトの付いたパウダーコーナーが2つあります。SAKURAⅢの普通鍵の脱衣ロッカーと古めのKeihoku Hakariが使われています。有線の演歌が流れています。多数の鉢植えや生け花は女将の心遣いのようです。 浴室は側方が二段流れの広いタイプの東京型で、白を基調にピンクというなかなか見ない配色の天井です。下部の壁タイルはセピア調の花模様に改修され、正面壁には竹林のプリントが貼られています。入口脇下部に3色の柄付きガラスブロック壁があります。 浴槽は通常の奥配置で、内側から、いずれもボタン式のハイパージェット(非稼働)・座風呂(稼働)、リラックスバス(微妙なバブルのみ)2基と並び、さらに背側に岩入り格子状湯口があり奥側が電気風呂になった薬湯(ジャスミンティーでした・・・緑色の湯)の浅浴槽、サウナ(別料金/非稼働…売りだったようですが…)という配置です。 内側中央辺りに「レインボーシャワー」という非常に興味深いものがあったのですが、こちらも残念ながら非稼働でした(ライトがつきうなるのみで湯は出ません)。続いて立ちシャワー2基があり、一番手前に立派な「掛水」があります。 素晴らしいのは脱衣所の外側に増築されたかなり広い「雰囲気のある」露天岩風呂です(備長炭湯/脱衣所とトイレから見えるというのも面白い!)。葦簀天井で結構な大きさの湯滝(長寿の湯)があり、浴槽には寝転ぶことのできる浅い部分もあります(一人用)。行灯型ライトが使われており、壁側の岩には座れるところもあります。 さらに手前の「赤い木製の小橋のかかった池や石灯籠のある小さいながらも手入れされた庭」を眺めることができ(休憩スペースからも見えます)、藤棚?がありますので、季節によっては尚更なのではないかと思われます。 固定シャワー付きのカランは固定シャワーのハンドルを含めて温泉マークの押し手で、内側3つ、6つ&6つの島、5つ&5つの島、外側6つの配置です。 「セラミック活水器 FW4000型」「軟水シャワー装置」「森林浴 オゾン発生装置」使用との表示がありました。 赤いサイドライン入りの黄色のケロリンの湯桶が使われています。 次項で紹介する大衆酒場との梯子をすれば、どっぷりと昭和に浸れること請け合いです。是非! 追記 個人?の所有物でありかつ公表されていないようなので、詳細な位置の紹介と写真の掲載は控えますが、近くの某商店の駐車場の壁に「中島盛夫氏による西伊豆」が描かれています(平成21年7月 画)。見つけた方はそっと遠くからご覧ください。 PR |
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同名のHP http://sentotanbonin.iiyudana.net/ ・・・には玄関付近の正面写真を載せましたので、こちらはやや斜め前からの全体像をどうぞ! 最寄りは京成菅野駅ですが(同駅の北東800m程にあります)、周辺の地理に明るくない方は、京成八幡駅から県道51号線を北上し昭和学院高等学校の脇の交差点を左折(西進)した方が確実です。 昭和38年創業・建築のやや簡素な造りの東京型銭湯で(外観はほぼ創業時のままと思われます)、後方にシンプルなコンクリート製円筒型煙突が聳え立ちます。 すっかり色褪せたコカコーラのベンチが脇にあり、左右がガラスブロック壁で、上部に屋号入りのガラスと古めの灯りのある入口の奥が、三和土が緑系&正面壁が青系のタイルで、やや簡素ながらも格天井に準じた飾り天井の玄関です。松竹の木板鍵の下足ロッカーと同じく松竹の小さなアルミ板鍵の傘立てロッカーが使われています。 上部のガラスに男・女が書かれた木製の引き戸の奥には、まさに別世界が広がっています。浴室外側と湯気抜きの窓がアルミサッシになっている以外、釜場への戸や脱衣所と浴室の境の戸や庭(後述)への戸を含めて全て木製のままで、梁や柱も同様なのです。所々にある模様硝子もそのままです。 手前から外側にかけての手入れの行き届いた広い庭(小さな池や木製の縁側あり-突き当たりは昔のトイレ?)に面した、白壁&少々アレンジされたやや簡素な木調の折上げ格天井(やや傷みあり)の脱衣所は、照明が暗めのために、夜は逆に風情があります。 番台も簡素ながら創業当時のままの木製で(左右に目隠しの板が付いています)、脱衣所中隔壁には建設会社寄贈の大鏡があります。松竹の普通鍵の脱衣ロッカーが使われています。分厚い木板のベンチもあります。 境の古いマーブルタイルの床の奥の浴室はブルーが主体の大橋ブルーの天井で、床を含めた下部のタイルは新旧混在しています。 緑系や青系の古めのタイルの浴槽は通常位置の2槽式ですが、内側深浴槽は大きめの円形で(ジェット1基)、外側浅浴槽には1本ジェット1基とバイブラと外側壁に岩入り格子状湯口があります。 カランは銀色のハンドルタイプの押し手で、内側は奥と手前が延長されたため、奥にロングシャワーのみ1つ+中央にロングシャワー付きで5つ+手前に固定シャワーのみ1つ、島は手前が延長されたため、5つ&5つのカランは奥寄りで板鏡は手前寄りとずれており(シャワーなし)、外側も手前に延長されたため、奥にロングシャワー付きで5つ+手前に固定シャワーのみ1つ・・・の配置です。内側の鏡の下部に現役の広告が1つあります(不動産屋さん)。 浴室中隔壁には「風車小屋付きの農家の建つ川辺」の洋風モザイクタイル絵があります。 勿体を付けて最後に書きますが、故早川利光氏による「伊豆(男湯)-女湯は瀬戸内海?…富士山はありません」のペンキ絵(平成20年4月30日)は、傷みが進んでいるのが残念ですが(勇壮な富士山と豪快な飛び散る波飛沫は健在!)、まだしっかりと残されていました。 黄色のケロリンの湯桶が使われていますが、多くは赤いサイドライン入りです。 風呂上がりに縁側で涼むと、あまりにも気持ちがいいので思わず長居してしまう・・・そんな落ち着く銭湯です。是非!是非! |
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http://sentotanbonin.kai-seki.net/Entry/276/ ・・・でご紹介した都営新宿線東大島駅のホームにある「行政区分標」です。 この駅は旧中川の上に設置された河川橋上駅で、江東区と江戸川区に跨がるため(住所は駅長室がある江東区)、「ホームに行政区分標がある全国でも珍しい駅」として、2000年に関東の駅百選に選ばれています。 写真は本八幡方面ホームにあるもので、向かって左側が江東区、同右側が江戸川区です。 もちろん、反対の新宿方面ホームにも同じものがあります。 普段は気にも留めないものでしょうが・・・。 |
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そんな訳で、途中にあった廃業銭湯の現況です。
☆江戸川50 弁天湯(東瑞江2-45) 都営新宿線瑞江駅の南方800m程の篠崎街道からちょっと北方に路地を入った住宅地にありました。ネットに散在する情報を総合すると、コンクリート製円筒型煙突が聳える千鳥破風を冠した立派な宮造り銭湯の前方フロント改造版で、薪で沸かしていたようです。丸山清人作の瀬戸内海のペンキ絵があったようです。痕跡はなく、賃貸アパートになっていました。 ☆江戸川53 改良湯(江戸川3-48-1) 都営新宿線一之江駅から瑞江大橋で新中川を渡った旧江戸川に近い住宅地にありました(旧江戸川対岸は千葉県市川市)。ネットに散在する情報を総合すると、屋号入りのコンクリート製円筒型煙突が聳える昭和後期?建築の簡素なフロント式銭湯で、男湯(川から流れ落ちる滝景色)から女湯(山の風景)につながる正面壁全面のタイル絵が見事で、森林浴もあったようです。痕跡はなく、賃貸アパートになっていました。 在りし日の銭湯を想いつつ合掌! |
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