× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 |
スケジュールの関係でご報告が遅くなりましたが、一昨日(2012.2.18)、休日を利用して、江戸川区の中央地区北部地域及び葛飾区のJR総武線新小岩駅南口東方地域の銭湯の外観写真の撮影(と同地域の廃業銭湯の現況の確認)がてら、「江戸川14 菅原湯(中央4-19-24)」を訪れました。
銭湯お遍路246軒目です。 そんなわけで、私は、墨田区の東武亀戸線東あずま駅から平井橋を渡り旧中川を越えて江戸川区に入り、さらに平井大橋を渡り荒川と中川を越え江戸川区と葛飾区の境が入り組んだ地域(旧小松川境川及び中川と旧小松川境川をつなぐ形で水田地帯を流れていた小さな川の名残と思われます)を転々…と遙々歩きましたが、最寄りは葛飾区にあるJR総武線新小岩駅で、その東方2km程の「菅原橋」という、古くは元佐倉道であった千葉街道(国道14号線)、鹿骨(ししぼね)街道(江戸川区の本一色から江戸川沿いで対岸は千葉県である篠崎町に至る)、旧小松川境川である現小松川境川親水公園に沿う小径とその上流側にあたる暗渠化されてできた道・・・などによる「驚きの変形9叉路」の脇に建っています。 交差点名の元で屋号の由来と思われる「菅原橋」は、旧小松川境川にかかっていたようですが、今はなんの痕跡も残されていないようです。 因みに、南西側の八蔵橋(同じく旧小松川境川にかかっていた橋・・・現況は未確認)からの1.5km程はかつては「菅原ッ原」といわれる両脇に細い小川の流れる寂しげな一帯だったとのことです。 千葉街道(国道14号線)と旧小松川境川(現小松川境川親水公園)に挟まれるような立地になっていますので、千葉街道側(写真上/看板あり)と旧小松川境川側(写真下/数段降りる)に2つの入口がある変わった形の簡素な宮造り銭湯の前方フロント改造版です。後方に低い金属製銀色円筒型煙突があります。 どちら側の玄関にもSAKURA-Gのプラスチック板鍵の下足ロッカーとさくらの小さなアルミ板鍵の傘立てロッカーがあり、さらに自動ドアを開けて入ると横向きのフロントと休憩スペースになっています。 脱衣所は白壁&中が木調の折上げ格天井で、SAKURAⅢの普通鍵の脱衣ロッカーが使われています。常連の置き道具が棚に並び、外側にはコンクリート製の縁側の小さな庭とトイレがあります。 浴室は梁に赤い装飾を施した大橋ブルーに塗られた天井で下部の壁タイルは花柄に改修されています。 浴槽は内側が生薬タイプの薬湯の円形バイブラバスで、外側が背側にジェット3基(底が数cm高くなっている)と外側に麦飯石入りの格子状湯口のある外側がやや手前に拡がった浅浴槽という通常配置の2槽式です。内側手前に立ちシャワーもあります。 カランは固定シャワー付きの銀色ハンドルタイプの押し手で、内側5つ、6つ&6つの島(鏡は板状)、外側5つの配置です。 ペンキ絵は中島盛夫氏(と田中みずき氏)によるもので(2010.5.17画)、男湯は川の上流(利根川?)&女湯は伊豆で、富士山は浴室中央に据わり、銘も中央に入っています。 <参照> 銭湯ペンキ絵師見習い日記 http://mizu111.blog40.fc2.com/ 黄色のケロリンの湯桶とブルー系で統一された丸型&角形のプラスチック椅子が、浴室入口付近にきちんと積まれています。 東京近郊の市街地の住民を長く癒してきた銭湯のようです。いかがでしょうか。 PR |
|
|