あまりにもネタが豊富でアップが遅れておりますが、夏期帰省中の2012.8.14、日本最小級の「銭湯(共同浴場)」と思われる、「滝川支部-芦別4 上芦別共同浴場(芦別市上芦別町517-20*)」を訪れました。
*北海道公衆浴場業生活衛生同業組合のHPの215や古い資料に見られる529は誤り(または元の住所?)と思われます。
(正式に記録を始めてから、)北海道38軒目になります。
JR北海道根室本線上芦別駅から東に200m程の寂れた市街地-同市街の(一応は)メインストリート(北海道道567号上芦別停車場野花南湖線)から1本北東側(JR北海道根室本線と逆側/空知川側)に入った裏通り沿いの角-にあります。
ネットに散在する情報を集約すると(年月日に関しては情報がかなり錯綜しています/会社名や炭鉱名は複数の呼称があります)、開拓から炭鉱や林業と複雑な歴史を辿っていますが、上芦別は、
1.明治鉱業上芦別鉱業所(炭鉱)
上芦別の市街地の北東の明治地区(旧金剛地区/野花南ダム※上流の空知川の対岸)にありました。1935年(昭和10年)に東芦別炭鉱として開鉱され、1944年(昭和19年)11月に明治鉱業が買収、昭和20年代の中頃以降に最盛期を迎えましたが、昭和30年代の中頃から採掘条件が悪化したために縮小され、1963年(昭和38年)7月9日に閉山となりました。いわゆる芦別五山(三井石炭鉱業芦別鉱業所・三菱鉱業芦別鉱業所・油谷鉱業芦別炭鉱・芦別高根炭鉱高根鉱業所・明治鉱業上芦別鉱業所)の一角でした。
※初代の野花南ダムは、かつての大手製紙会社の1つであった富士製紙(1887年(明治20年)設立-1933年(昭和8年)初代王子製紙に吸収合併されて消滅)によって、日本初のダム式水力発電所として、1918年(大正7年)に建設されました。現在は老朽化のため新野花南ダムに替わっています(1971年(昭和46年)竣工)。
2.三菱鉱業芦別鉱業所専用鉄道
上芦別駅から北方の辺渓三坑までの8.2km(1949年(昭和24年)12月24日に上芦別-辺渓間6.9kmが開通/1954年(昭和29年)に辺渓-辺渓三坑間1.3kmが開通)と辺渓から分岐した油谷炭鉱までの油谷炭鉱専用線1.3km(1949年(昭和24年)12月24日に開通)があり、いわゆる芦別五山(前出)の一角を占める三菱鉱業芦別鉱業所(辺渓三坑)と油谷鉱業芦別炭鉱(油谷炭鉱)からの出炭を担っていましたが、三菱鉱業芦別鉱業所が1964年(昭和39年)8月29日に閉山したため、3日後の9月1日に廃止されました(油谷鉱業芦別炭鉱は1965年(昭和40年)11月19日に閉山しました)。往時は9600形蒸気機関車(愛称:キューロクまたはクンロク)などが主に石炭輸送に活躍し、末期には、やはり1987年(昭和62年)に全線が廃止されることになる三菱石炭鉱業大夕張鉄道線から譲り受けた9200形蒸気機関車が人気を集めたそうです。
3.芦別森林鉄道
1934年(昭和9年)11月 、帝室林野局上芦別出張所により31.2kmが敷設され、1961年(昭和36年)に廃止となりました。
・・・など(さらに昔にも幾つかの三菱の炭鉱&専用軌道及び森林鉄道が存在したようです)により繁栄した集落で(少なくとも大正中期頃~昭和初期頃は日本でも先進的な地域だったものと思われます)、当銭湯(共同浴場)は正に1と上芦別の市街地を結ぶ泰山橋からの道路沿い、さらには1949年(昭和24年)に敷設された明治鉱業上芦別専用線(坑外軌道/空知川沿いの小径は名残と思われます/空知川を渡る専用橋梁は泰山橋から約100m上流にあったものと推察しました)の近くにも位置するようですので、元々炭鉱が経営していた共同浴場が母体の炭鉱の閉山にともなって閉鎖される際に「共同浴場(利用)組合」に移管して存続したもの(後に移転された可能性があります)と想像されます(炭鉱住宅(炭住)のほとんどには内風呂がありませんでした)。同様の組合が管理する銭湯(共同浴場)が北海道石狩地方の旧産炭地域に散在しています(これから順次ご紹介できればと存じます)。
中央に受付(告知用のホワイトボードがかかっています)とボイラー室兼用(上に低い金属製細円筒型煙突が立っています)の管理部分のある平屋の小さな建物で、男女の入口は管理部分の左右に非対称に設置されており(おそらくは女湯がより見えにくい配慮でしょう)、男性側の入口横に風雪に耐えてきたことが偲ばれる「上芦別共同浴場」と墨書された木製看板があります。脱衣所にある落成を祝して寄贈された時計の記載から1981年(昭和56年)に建て直されたことがわかります(このときに移転された可能性があります)。
小窓を通して外で料金を支払い、玄関ドアを開けて入ると半畳程の三和土と同じく半畳程の上がりの玄関で、簡素な木棚が下足入れになっています。
さらにアコーディオンドアの向こうが3畳程の脱衣所で、簡素な木製の脱衣棚とプラスチックの長方形の脱衣籠が使われています。全国公衆浴場組合(全浴連)のイラスト入り「銭湯入浴のマナー(英語・中国語2種類・ハングル併記)」や北海道浴場業生活衛生同業組合関連の掲示物や料金表が、これでも立派な「銭湯」であることを示しています。手前の水洗トイレは新しくなっています。
浴室も四畳半程度の非常に小さなもので、微妙に山型の天井や壁は簡素な建材が使われており、床は緑の小円形タイルになっています。天井に湯気抜きがないので、正面壁に窓と換気扇、外側壁にも換気扇があります。中隔壁の奥側に小さな業務用のドアがあります。
浴槽は外側奥配置に約2m四方の深めのものが1つあるだけです。外側手前にパイプの湯口と水の蛇口があります。
カランは中隔壁に5つのみで、全てロングシャワーが付いており、基本は黒いプラスチック製で中央に
赤青の丸が入った円形の押し手ですが、修理のためか多少バラバラになっています(1つは蛇口に・・・)。入口脇に業務用の湯水の蛇口と水飲みもあります。
芦別浴場組合と北海道公衆浴場組合の連名のイラスト入りのお願い文がほのぼのとしています。
因みに、北海道独自の工夫ですが、水道凍結時の対処のため全ての湯水の配管は埋め込みではなく壁伝いになっています(お湯をかけるなどして解凍することができます)。
新しい普通のプラスチックの椅子と湯桶(カランに合わせて5組!)が使われています。
入浴客同士が普通に会話しており、みんな顔見知りであることがわかります。そんな「銭湯・・・いや共同浴場」です。
いつものように「地域の歴史に想いを馳せつつ、是非!」と言いたいところなんですが、あくまでも「地域住民用の小さなお風呂」という位置付けのようですので、ご興味とご理解のある方のみの「ごく少人数(せいぜい3名程度まで)」でのご訪問にお留めください。
自転車やバイク等は浴場前に停められますが、自動車用駐車場はありません(周囲の道路への駐車の際には地域住民にご迷惑のかからぬようにお願いします)。
なお、週4日(火・水・金・日)15:00~19:00の営業となっているようで、北海道公衆浴場業生活衛生同業組合のHPなどの記載とは異なりますのでご注意ください。
北海道にはこんな「銭湯」もあるんですよ!
思わず注釈だらけの超長文になってしまいましたが、銭湯の奥深さを体感した貴重な体験でした。
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