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なんやかんやですっかりアップがずれ込んでおりますが・・・。
大田69 壽湯(寿湯) http://sentotanbonin.kai-seki.net/Entry/488/ ・・・の訪問のついでに確認した周辺の廃業銭湯の現況です。 ☆大田64 恵湯(大森西6-4-11) 京浜急行梅屋敷駅※の北方150m程の古くからの住宅地にありましたが、2008年6月頃?に廃業(同年6月下旬~7月中旬に解体)となりました。ネットに散在する情報を総合すると、千鳥破風を冠した東京型和風銭湯の正面脇増築版で屋号の書かれたシンプルな電気看板があり、後方にコンクリート製円筒型煙突が聳え、広々とした内部は下足ロッカーなどのアイテムを含め比較的に昔のままで、やや年季の入った中島盛夫氏画のペンキ絵(西伊豆?/富士は女湯側)が見事だったようです。既に痕跡はなく賃貸集合住宅になっていました。 ※この辺りは北側の丘陵と南側の海に挟まれた温暖な気候の平地だったため平安時代には開け、江戸期文政年間(1818年~)の初めには東海道沿いにあった常備薬「和中散」の売薬所が梅を植えて休み茶屋(梅見の茶屋=梅屋敷)を設けたことから評判を呼び、地名の由来となりました。初代 歌川広重(うたがわ ひろしげ:寛政9年(1797年)-安政5年9月6日(1858年10月12日)…安藤広重(あんどう ひろしげ)の表記は正確ではない)が安政3年(1856年)2月から同5年(1858年)10月にかけ制作した連作浮世絵名所絵「名所江戸百景」にも「蒲田の梅園(春の部27景)」として描かれました。梅屋敷駅は品川~六郷橋(現在の六郷土手付近/1949年(昭和24年)廃駅)の延伸にともない1901年(明治34年)に開業し(最初は駅舎もなかったとか・・・)、明治後期には観光客で大いに賑わったそうです。 【参考:京急線普通電車の旅 Vol.28 梅屋敷編(京急電鉄)-適宜補足し幾つかの誤りは修正させていただきました】 在りし日の活況を思い浮かべつつ・・・合掌!! PR |
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