× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 |
スケジュールの関係でアップが遅くなりましたが、一昨日(2011.12.9)、引き続き仕事で埼玉県西部地域(地理的には埼玉県中央部)に行ったついでに、和光市に残る唯一にして最後の銭湯である「埼玉県朝霞支部(和光市)306 浩乃湯(こうのゆ/和光市白子1-24-39)」を訪れました。屋号は創業者(ご主人)の名前に因んだのでしょうか。
埼玉県25軒目になります。 和光市(というか埼玉県)と練馬区及び板橋区(というか東京都)の複雑に噛み合ったところにあり(地図でご確認を・・・)、ほんの50m程先が練馬区で、「練馬1 寿湯(旭町3-11-7)・・・未訪問」は目と鼻の先(北北東に200m程)、光ヶ丘団地からも北西に300m程、最寄り駅は板橋区にある東京メトロ有楽町線と副都心線の地下鉄成増駅(または東武東上線成増駅)となっています(2つの駅から南西に600~800m程)。 昭和42年8月6日創業・竣工のコンクリート建築ですが、東京型銭湯の伝統的な宮造り形式を踏襲しており、「鬼瓦及び雲形装飾の懸魚の付いた千鳥破風」&「鬼瓦及び雲形装飾と鶴の懸魚が付いた唐破風(下部の白壁などの装飾も見事!)」の二重の破風を冠した建物は実に威厳があります。温泉マークと屋号入りの白っぽいコンクリート製円筒型煙突が聳え立ち、住宅街の道を通って「牛蒡通りの白子川※に架かる小源治橋(それぞれの名前の由来に非常に興味が湧きます!)」に立つと、裏側の温泉マークとレトロ銭湯の文字も確認できます。女湯側の庭に生えた木が立派です。 ※練馬区大泉の井頭泉に始まる。荒川水系。 周囲は再開発が進みつつも昔ながらの建物が散在する地域で、前側や向かって右側の通路や駐車スペースが未舗装というのもなかなかオツです。 薪で沸かしており、向かって右側奥から裏手(白子川近く)に山積みになっています。 玄関周囲もなかなか古めかしく、木製の引き戸の上部は欄間で、三和土には緑系の正方形と長方形のタイルが張られ、中に入ると格天井に準じた飾り天井で、上がりには水色とピンクの正方形タイルが張られています。木板鍵のananの下足ロッカー(持ち去られてかなり欠けているのがとても残念です!)とアルミ板鍵のTOKYO MOMの傘入れロッカーが使われています。 さらに木製の引き戸を開けて入ると、番台は簡素ながらも白壁(や古めかしいコンクリート壁)&玄関同様の格天井に準じた飾り天井の脱衣所で、かなりの建具は木製のままです。モスグリーンの3枚羽根の天井扇があります。アルミ板鍵のTOKYO MOM(一部はアルミ板鍵の松竹錠で補修)の建材の古い脱衣ロッカーが使われています。 神明湯(どこの?)などから贈られた天女や孔雀の絵の額が計3枚と福の神の飾りや大入りの額が計6枚飾られています。田村隆一の詩のプリントも貼られています。工務店から贈られた屋号入りの古めの針式体重計が使われています。 竣工当時である昭和42年10月の日付の入った、埼玉県公衆浴場業環境(現在は生活)衛生同業組合と埼玉県公衆浴場業合理化相談所(どちらも代表理事:丸山健吉)による「美と健康をつくる近代化浴場」のパネルがあり、そんな時代に想像が膨らみます。埼玉県公衆浴場業環境(現在は生活)衛生同業組合によるやや古い表記の注意書きもあります。 脱衣所中隔壁の上には、かの有名な「江戸東京たてもの園の子宝湯」にあるような「行灯型広告ボックス(美容室、内科・小児科医院、新聞店、スナック、紳士服店、熱帯魚店、カラオケ、雀荘・・・そして浴場広告の敬心社)」まであります(さすがに廃業になっているのか店名や電話番号などは消されています)。 2002.9.29に「実録ヒットマン~妻その愛~(2002年12月14日公開/東映)」の撮影が行われたため、主演の哀川翔さんと宝生舞さんのお二人のサインや台本・・・の写真を配した案内文が掲示されています。 手前側はすぐ前が壁になった庭?になっており(女湯側は木が生えている?)、木製の縁側があります。 外側奥には釜場への戸に加えて便所(トイレではない!)への閂を含めて木製の戸があります。マーブルと書かれた上部の青いプラスチックボックスから鎖を引っ張って落とす水洗式で、天井は木製、乳白色の正方形タイルの壁、玄関の上がり同様の水色とピンクの正方形タイルの床、白い丸形の小さな手洗い・・・と昭和レトロそのものです。 ミネラルウォーターは無料サービスです。 とても広々とした浴室は天井が大橋ブルーに塗られ、床やカラン周りのタイルなどは新しくなっています。 驚きは浴槽背面~外側面の巨大な岩バックで、内側は釜場への戸の脇、外側は浴室奥1/3まで、奥角が最も高くて3mあまりと、おそらく普通の銭湯としては日本最大級ではないか思われます。何と滝状湯口・・・というスケールを遙かに超えた湯滝まであり、そのため浴室にはもうもうと湯気が立ち籠めています。 そんな岩バックのため、バイブラ付きの内側深浴槽はやや手前に配置され、外側浅浴槽は大きく前に迫り出しています(浴槽内に座れる岩もあります)。 柱の凹凸を含めてコンクリート壁に直書きなのでペンキ絵の状態は比較的良好です。製作年月日とサインが見当たりませんが、故早川利光氏によるもののようで、男湯は伊豆(富士山がやや浴室中央寄りにあります・・・岩バックの近傍は元より釜場への戸の脇の足下まで描かれています)ですが、女湯は立ち籠める湯気で確認できません。 浴室中隔壁には「ヨットが浮かび古城や民家が岸にある湖から望む山々」の洋風モザイクタイル絵があります。 その上には「行灯型広告ボックス」を分解して再利用した広告スペースがあり、幾つかの広告の中には現役のものもあるようです。 カランは赤と青のハンドルタイプの押し手で、内側9つ(ここのみ固定シャワー付き)、6つ&6つの島(金属板状の鏡のみでシャワーなし)、外側5つ(鏡のみでシャワーなし)の配置です。湯の節約のためもあってか、常連は内側のみを使用しているようです。 黄色のケロリン風の湯桶が使われています。 いろんな意味で「訪れる価値の高い銭湯」の1つです。お勧めです。是非! 詳しくは公式HPをご覧ください。 http://www.shokokai.or.jp/11/1122910235/index.htm PR |
|
トラックバックURL
|
|