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スケジュールの関係でアップが遅くなりましたが、年度末の過酷勤務をこなしたご褒美のように平日休みが取れましたので、2012.4.5、町工場が散在する古い下町にある「江東5 亀の湯(猿江1-18-9)」を訪れました。
銭湯お遍路256軒目です。 実は、墨田区にある押上駅から南下して、「墨田38 楽天浴場(江東橋4-15-1)」の長期休業を再確認し、江東区に入り付近の銭湯の外観写真を撮影しつつ向かった「江東7 小山湯(海辺18-5)」が臨時休業だったため(&近くの未訪問銭湯が木曜日定休だったため)戻ったのでした。 最寄りの東京メトロ半蔵門線&都営新宿線住吉駅の西南西500m程に建つ昭和54年12月竣工のビル型銭湯です。上階は賃貸マンションで、脇の入口は2階のコインランドリーのものです。正面壁には屋号が書かれ、上方の看板には「入浴は美容と健康の源」、玄関横の看板には「まろやかな漢法のくすりゆ」「温る 健康増進…のゆ」「下町の名湯」のキャッチフレーズが踊ります。3方に銭湯マークと屋号とサウナの文字書かれた(1方は梯子)コンクリート製四角柱煙突があります。玄関前に休憩用のベンチが置かれています。基本的に薪で沸かしているようです。 玄関は入口は男女別々ですが中は一緒で(なぜかシャッターが不完全に開いています)、木札鍵の松竹の下足ロッカーと松竹M型錠の傘立てが使われており、煉瓦調の壁に洋風の木製レリーフの飾りがあります。 内部は以前の建物からの再利用と思われる部材を生かして、ビル銭湯ながら昔の雰囲気を色濃く残しています。 木製の引き戸の奥の脱衣所は格天井&木床で、アルミ板鍵とディンプル錠の松竹の脱衣ロッカーが使われています。綿棒は無料サービスです。 礼儀正しいご主人が座る番台は逆向きになっており、その壁に札幌農学校(現北海道大学)初代教頭であったクラーク博士(ウィリアム・スミス・クラーク:William Smith Clark)の“Boys, be ambitious!”の言葉の全文が貼られています(・・・が後の創作のようです)。 <参考> 北海道大学附属図書館 HOKKAIDO UNIVERSITY LIBRARY “Boys, be ambitious!”について http://www.lib.hokudai.ac.jp/modules/tinyd44/index.php?id=116 お馴染みの田村隆一の詩や映画版テルマエ・ロマエのポスターに加えて、ご主人の趣味なのか天皇一家の写真、ルノアールの絵の模写、竹久夢二の絵の模写、様々な歴史関係の本などが掲示・常置されています。 浴室も、中央がやや高い金属スレート天井&普通のタイルの壁と床ながら、正面壁全体が「山中の滝(秋景?/男湯)」&「紅葉と山々?(女湯)」の約10cm角のタイル絵で、中隔壁には「岸に水車小屋があり和船の浮かぶ湖から望む富士」の同じく約10cm角のタイル絵があります。 浴槽は通常配置の2槽式の改造版で、内側深浴槽の内側半分にあたる部分が釜場への戸とともに囲われて湿式サウナ(別料金)になり(正面壁と中隔壁のタイル絵もそのまま組み込まれています)、内側深浴槽の外側半分を浅くし外側浅浴槽と繋げてバイブラとジェット2基及び最外側内向きに電気風呂が作られています(増設された電気風呂用の横壁と浴槽手前壁の狭い間隙が足湯のようになっています)。内側手前にロングノーズ2本(湯と水)の立ちシャワーもあります。 カランは固定シャワー付き(やや不揃い)の茶色ハンドルタイプの押し手で、内側5つ(奥1つは湿式サウナ用に転用)、6つ&6つの島、外側6つ(手前1つがロングシャワー)の配置です。 黄色のケロリンの湯桶と一部にM字椅子風の緑色と灰色のプラスチック椅子も使われています。 なお、すぐ近くの猿江橋からはこんな写真が撮れます。 『桜咲く大横川とスカイツリー』です。 風が穏やかであれば、川面にスカイツリーがはっきり映ったのですが・・・。 春のそぞろ歩きと銭湯もいいもんですよ。是非。 注)猿江という町名は、康平年間(1058年頃)に、「源義家臣猿藤太」と書かれた鎧を着た武士の遺体がこの地に流れ着き、住民たちが祠を建てねんごろに弔ったという伝説に由来するとのことです。埋め立てが進む前は海岸に面した漁師町で、江戸期には既に猿江村とよばれていたようです。関東大震災や東京大空襲で大きな被害を受けた地区でもありました。 PR |
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