例によって既に昨日になりましたが、休日を利用して、「大田53 益の(乃)湯(南久が原2-1-23)」を訪れました。
銭湯お遍路241軒目です。
昭和23年頃の創業で(創業70年程になるようです)、昭和48年頃に初代から2代目(初代の甥)に代替わりしたのを契機に(現在は3代目でしょうか?)、昭和50年頃に建て替えられたビル型銭湯です(立て込んでいるので全景は撮れません)。
傾斜地に建てられているため脇に植木の並んだ階段を上がったやや高くなった1階が銭湯になっており(バリアフリーのスロープもあります)、1階の左右(というか中2階)は貸店舗、上階は賃貸物件(住宅)になっています。道なりに後ろに回ると3面に「
天然 益の湯」と書かれた(もう1面は梯子)コンクリート製四角柱煙突が見えます。大田区に多い黒湯の天然温泉が特徴で、入口周囲には「
天然温泉 益の湯」と書かれた表示や看板類が多数あります。
同じく「
天然温泉 益の湯」と
温泉マークが染め抜かれたオリジナル紺暖簾の奥が玄関で、さくらの木板鍵の下足ロッカーが使われています。
自動ドアの奥がフロントと大型薄型テレビを備えた広めの休憩スペースで、来店されたあるいはご縁のあった有名人(ビートたけし・細川たかし・五木ひろし・淡谷のり子・渡辺徹・若花田・貴花田・段田男・ガレッジセール・やるせなす・・・敬称略)のサイン色紙や写真などが多数飾られています。
脱衣所はシンプルで、外側のコンクリート柱が内側に傾いた構造になっています。外側奥のコイン式洗濯機の置き場はやや低くなったタイル敷きになっています。
SAKURAⅢの普通鍵の脱衣ロッカーが使われています。屋号入りの貫目表示の針式体重計(KEIHOKU HAKARI SEISAKUSHO)がレトロです。田村隆一の詩のパネルもあります。よく見ると、今は使われていない古い木桶が5つ残されています。
昭和30年頃に水道水の使用制限の対策として掘ったという(地下150m)黒湯の温泉分析書とともに、2枚の「温泉の利用許可書」と「公衆浴場営業許可書」が掲示されています。
かなり傷みの進んだ「温泉の利用許可書」は旧字混じりで、公選制の初代の東京都知事である(公選制以前の東京都長官も務めた)安井誠一郎名による昭和32年10月7日の発行(第4070號)になっており、初代の名前と旧住所(大田區調布鵜ノ木町10番地の2)が記されています(感動的!)。
もう1枚の「温泉の利用許可書」も旧字混じりで、第3代の東京都知事である美濃部亮吉名による昭和51年12月2日の発行になっており(驚きの第壹号!)、2代目の名前と現在の新住所が記されています。
当時の大田区長による「公衆浴場営業許可書」は昭和50年9月17日の発行で、2代目の名前と現在の新住所が記されています。
浴室との境の戸の上部には「富士山」「帆掛け船」「松」「雲」などの柄の非常に味のある模様硝子があります。
浴室は青いプラスチック建材の中央下がり天井で、壁にはカラーのモザイクラインのタイルが使われています。
浴槽は通常の外側奥配置ですが、内側から黒湯の深浴槽(
あつ湯)と黒湯の浅浴槽(ぬる湯)-つながっている、座風呂2基のある白湯の深浴槽と金属ドーム型の湯口のある白湯の浅浴槽-仕切りのパイプは水カラン用兼用(最初はお湯が出る!)・・・と縦長の浴槽が4つ並んだ形になっています。内側奥の銀色の戸の奥はサウナ室(乾式)で(なんと内部に釜場への戸があります)、土・日のみの営業ですが無料となっています。内側手前にロングタイプの立ちシャワーもあります。
カランは銀色ハンドルの固定シャワー付きの茶色のハンドルタイプの押し手で、内側奥3つ+内側手前5つ(間に柱)、8つ&8つの島(シャワーは互い違いに4つずつのみ)、外側奥2つ+外側手前6つ(間に内側に傾いた柱)の配置になっています。
黄色のケロリンの湯桶に加えて一部に緑のM字椅子が使われています。
正面壁には一幅の絵の如き「和船の浮かぶ湖から望む富士」のモザイクタイル絵があり、湯気で霞んでいますが女湯側は別の柄です。
以上、銭湯の歴史については休憩スペースに掲示(及びファイルに保存)されている「1993年(平成5年)7月1日付けの讀賣新聞(地域版)の記事」によります(黒湯及び建て替えを巡る興味深い顛末も書かれています・・・是非実際にご覧ください)。
私は交通費節約のため既にご紹介の『都営地下鉄「冬の」ワンデーパス』を利用して都営浅草線西馬込駅(終点)から丘陵部を越えて向かいましたが(久が原駅付近で一杯・・・のため帰りは中延駅まで東急経由)、東急池上線久が原駅の蒲田方面行き改札口のすぐ目の前(大股で歩けばわずか10歩!?)という抜群の立地にあります。
常連さんたちで賑わう地域に根ざした人気温泉銭湯のようです。どうぞご賞味くださいませ。
追記(2012.1.31)
以前に外国のお客さんが作ってくれたという(おそらくは)チベット文字による「注意文or案内文」が貼られていました。調べたところでは、チベット語、ゾンカ語、ラダック語、バルティ語、シッキム語、モンパ語、モンゴル語あたりのようですが、どれなのかまではわかりません。おわかりの方はご連絡ください。
[0回]
PR