引き続き主に私的なスケジュールが非常に忙しく(次々々項でさらに真相が明らかに・・・)アップが遅くなってしまいましたが、2012.7.29、例によって『都営地下鉄「夏」のワンデーパス』を利用して、都営地下鉄浅草線馬込駅から環七通り(東京都道318号環状七号線)を東急池上線及び中原街道(東京都道・神奈川県道2号東京丸子横浜線※)を越えて1.6km程北西方向に歩き、さらに住宅地を800m程西進して、「大田45 八幡浴場(南千束3-1-13)」を訪れました。
※徳川家康による東海道の整備前は東海道の一部でもあった中世以前からの古道で、東海道の整備後は江戸虎ノ門(現在の東京都港区虎ノ門)から平塚中原(現在の神奈川県平塚市御殿)をつなぐ脇街道。名称は平塚にあった徳川将軍家の御殿(別荘)の中原御殿に由来。相州街道・お酢街道・江戸間道・小杉道・こやし街道などの別称がある。
銭湯お遍路274軒目です。
もちろん、東急目黒線&大井町線大岡山駅☆が最寄りで、その南南東方350m程の古い商店街(大岡山南口商店会)の脇にあります。
☆「大岡(おおおか)-JR東海御殿場線」「上大岡(かみおおおか)-横浜市営地下鉄1号線&京急本線」とともに「ひらがなで書くと同じ文字が3つ並ぶ珍名駅」として知られています(鉄ネタですが・・・)。
簡素な造りの東京型銭湯の正面フロント改造版で、後方に枠付き金属製細円筒型煙突が聳え立ちます。お隣が墓地というのも、ある意味で地域の歴史を伺わせます。
東京中の銭湯を巡って研究しヨーロッパのプチホテルも参考にしたという全面リニューアルが2006年に行われ、全体としてブルーが基調の「中学時代に同級生だった息の合ったご夫婦の理想の銭湯」になっており、清潔を旨として掃除もしっかりと行き届いています。
そんなこんなが書かれた「1010 86 2007 / June 東京銭湯 ちょいとひとっぷろ P.P.38~39(のコピー)」も掲示されています(東京都公衆浴場業生活衛生同業組合のHPでオンライン版も読めます)。
「美肌健康軟水泉 八幡浴場」などと書かれたポップな金属製看板や各種説明板が脇に掲げられた玄関では、木札鍵のSAKURA-Gの下足ロッカーとアルミ板鍵の比較的新しいTOKYOの傘立てが使われています。
自動ドアの奧がフロントと木床の休憩スペースで、大型テレビの台は古風な箪笥が使われており、扇風機もレトロ調です。全くの偶然とのことですが、木製ベンチの後ろの出窓には、時節(ロンドンオリンピック)にマッチしたイギリス国旗の柄の団扇が置かれていました。
脱衣所は飾り天井のシンプルな造りながら木床&白壁で柱や梁は木製のままです。ディンプル鍵のSAKURAⅢの脱衣ロッカーが使われ、ゴザ張りの縁台が置かれています。「全国浴場組合の景品バスポスター(丸山清人氏 画の富士山+田村隆一の詩+銭湯のマナーのイラスト)」も貼られています。
手前から外側にかけて小さいながらも手入れされた庭があり、風鈴の提げられた屋根付きの広い縁側でゆっくりと涼むことができます。
浴室は白が主体の東京型天井で、下部は男湯が御影石、女湯がイタリア製ブルータイルになっています。
ご主人の趣味がサーフィンのため、正面壁は「南の島のビーチのサンセット(旧来の縁起担ぎは気にされないようです)」の枠付きモザイクタイル絵になっており(女湯も同じ)、全館に流れるBGMも海関係の曲(ハワイアン・サザンオールスターズ・ビーチボーイズなど)で統一されているとのことです。
浴槽は通常の外側奥配置に内側から、淡水&日替り薬湯(イヴタス翡翠でした)のリラックスバス(ボタン式の座風呂)2基(水深90cm)、後は「美肌の湯・美人の湯」である軟水のボディーマッサージ(水深88cm)、ジェットエステ2基、(外側の湯の噴出口を挟んで)外側に拡張した天井の低いバブルエステと並んでいます。内側手前に立ちシャワーもあります。熱からず&温からずの温度設定を心がけておられるとのことです。
カランは固定シャワー付きの銀色ハンドルタイプの押し手で、内側5つ、5つ&5つの島、外側4つの配置です。
黄色無地のケロリン型湯桶が使われています。
東京工業大学大岡山キャンパスも至近で、「卒業研究などの実験の合間にひとっぷろ」に最適の銭湯です。北西方300m程にある洗足池*で夕涼み・・・というのも粋でしょう。是非!
*武蔵野台地末端の湧水を堰き止めた池。昔は洗足郷の大池と呼ばれ灌漑用水としても利用された。大田区指定名勝。日蓮聖人が足を洗ったことに由来するとの説があり袈裟を懸けたとされる松がある。1周は約1.2km(徒歩で約20分)。江戸時代、初代 歌川広重による浮世絵「名所江戸百景」にも描かれた。近くには勝海舟夫妻の墓所などもある。
以上、夏期帰省中の北海道旭川市からのアップでした。
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