なんやかんやでアップが遅くなりましたが、2012.7.26、平日休みを利用して、「埼玉県戸田・蕨支部216 あづま湯(上戸田3-5-1)」を訪れました。
埼玉県40軒目になります。廃業銭湯があるので正確ではありませんが、これで半分は超えたものと思われます。
JR埼京線戸田駅と同戸田公園駅のほぼ中間にあたる(どちらからも700m程)同線東側の国道17号線(中山道)とに挟まれた旧市街に建つ昭和後期?のコンクリート建築の銭湯です。後部に金属製?の「たが」がはまったようなコンクリート製四角柱煙突が聳え立ちます。
正面に書かれた屋号の下がガラスブロック壁で、その前に小さな庭のある左右に分かれた男女別の引き戸の入口を開けて入るとこぢんまりした玄関です。プラスチック板鍵のSAKURA-Gの下足ロッカーとさくらのアルミ板鍵の傘立てロッカーが使われています。
さらに引き戸の奥が木床&コンクリート壁の簡素な番台式の脱衣所で、飾り天井には男女それぞれ茶色で3枚羽根の天井扇が回っています。SAKURAⅢの普通鍵の脱衣ロッカーが使われ、柱時計は贈られたものです。
浴室も中央がやや高い乳白色のコンクリート天井&同色コンクリート壁のシンプルなもので、中隔壁中央に四角のコンクリート柱が立っています。
中隔壁にはどういうわけか古代エジプトの壁画風の不整形モザイクタイル絵が描かれています(男女とも同じです)。
浴槽は通常の外側奥配置で内側から、座風呂2基になった深風呂、弱いショルダーマッサージとバイブラのある浅浴槽、バブルのある薬湯(ローズマリー&マジョラムでした…緑色の湯)と並んでいます。内外側手前に1基ずつ立ちシャワーもあります(内側はロングノーズです)。
カランは固定シャワー付きの銀色ハンドルタイプのWaguriの押し手で、内側奥2つ+(柱を挟んで)手前3つ(手前から2つめは修理中です)、5つ&5つの島、外側5つの配置です。
黄色のケロリンの湯桶が使われています。
特筆すべきは正面壁の「木曾街道 戸田川渡」と書かれた不整形モザイクタイル絵で(男女とも同じです)、江戸後期に活躍した浮世絵師である歌川広重※と渓斎栄泉☆が一応?合作の形で完成させた『木曽街道(中山道)六十九次(全72図)』の中の『木曾街道 蕨之驛 戸田川渡場(渓斎英泉 天保6年(1835年)-天保8年(1837年)の作)』のようです。木曾街道(中山道)第2番目の宿場町である蕨宿の近隣にあって一帯の水運を担ったのが戸田の渡し場でした。戸田橋の約100m下流、戸田漕艇場のすぐ近くになります。因みに、現在、戸田川は独立した名称はなくなり荒川の一部となっています。
※うたがわ ひろしげ:寛政9年(1797年)-安政5年9月6日(1858年10月12日)…安藤広重(あんどう ひろしげ)の表記は正確ではない(過去の記述も修正)
☆けいさい えいせん:寛政2年(1790年)-嘉永元年7月22日(1848年8月20日)
意外なところで街の昔を物語るものを見つけました。そんな歴史に想いを巡らせてのひとっ風呂はいかがでしょうか。
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