既に昨日になりましたが、休日を利用して、川口市に吸収合併された
旧鳩ヶ谷市に残された最後の銭湯となってしまった「埼玉県川口支部1041 昌見浴場(まさみよくじょう/坂下町2-1-22)」を訪れました。
埼玉県31軒目になります。
埼玉高速鉄道(東京メトロ南北線と直通運転しています)鳩ヶ谷駅の南方200m程の日光御成街道(日光御成道…将軍が日光東照宮へ社参する際に利用した日光街道の脇街道/この辺りは
現県道105号さいたま鳩ヶ谷線)沿いの昔ながらの商店街の中にある外観は簡素な造りの古い銭湯です。後方にコンクリート製円筒型煙突が聳え立ちますが、さらに後方に大きなマンションが建っていますので、銭湯がより小さく見えます。
昔のままの造作(木造&タイル)の入口を入ると白壁&白天井の玄関で、木札鍵の松竹錠の下足ロッカーが使われていますが、なんと正面下部(番台背面位置)にも縦2つ×横3つが配置されています(その前が高齢者の手押し車置場になっているようですのであまり使わない方がいいようですが・・・)。
上からポスターが貼られているので詳細はわかりませんが、正面位置に縦長の長方形タイルによる縦2枚×横4枚の「洋風の山水画?」の柄(茶系)の絵もあります(お見逃しなく・・・)。
上部窓に男湯&女湯が書かれた昔のままの木製の引き戸を開けて入ると、白壁&白壁を折り上げた木調格天井&ピカピカに磨かれた木床で当然に番台式の脱衣所です。戸や窓そして柱や梁も木製のまま、番台の脇には雲形の飾り板があり、料金や小物を入れる木製の小さな箪笥も時代が付いています。
アルミ板鍵の松竹錠の脱衣ロッカーが使われており(籐製の籠も多数あります・・・がほとんどは棚の上に・・・)、大きい乳白色の4枚羽根壁型扇風機もレトロです。SOUKA SCALEの針式体重計が置かれ、古い柱時計は既に時を止めたままです。埼浴川口支部の「(貴重品の取り扱いについての)お願い」は昭和54年のものです。かなり自由に常連客の道具が置かれています(小さな木棚もあります)。
手前側に時代が傾きを付けた木製の縁側のある小さな庭があり、その先に水洗化されているもののかなりレトロなトイレがあります。下足ロッカーの背面にあたる壁から生えている多数の金属パイプは湿気を抜くための仕掛けなのでしょうか※。
※奥行きのない下足ロッカーに長い傘を入れるための工夫のようです(2012.10.26追記)。
ややコンパクトな浴室は天井が大橋ブルーに塗られており、浴槽背面は白黒のパターンタイルです(和栗工業(株)の説明文もあります)。
タイルが古めの浴槽は通常の外側奥配置で、内側から薬湯(宝寿湯)、バイブラ付きの浅浴槽、金属パイプの仕切りを挟んで寝風呂と並んでいます。内側手前には透明ハンドルによる混合栓で金属の蛇腹のようなロングノーズの立ちシャワーも2基あります。
カランは銀色ハンドルタイプの押し手で(内側の1つのみWaguriの球形)、内側4つ(固定シャワー付き)、3つ&3つの島(板状鏡のみでシャワーなし)、外側6つ(固定シャワー付き)の配置です。ただし固定シャワーは3種類が混じっています。島が奥側にあるので手前側が広いスペースになっています。
ペンキ絵は浴室中央に富士山のある西伊豆?(男湯)ですが、銘がなく作者不明です(中島盛夫氏作との未確認情報あり)。14 9 21(ちょっと離れて)23とあるのですが、これを「平成14年9月21日・23日 画」と解すべきかは疑問です(経過年数の割に状態が良すぎるのです)。外側壁下部に広告スペースが残されています。
サイドに
屋号の入った黄色のケロリン型湯桶が使われています。
気のいい女将さんの常連客との掛け合いにも好感が持てます。脱衣所が雑多なもので溢れる典型的な田舎の銭湯といったところです。みなさまのお越しをお待ちしています。
以上、次の銭湯を求めてやってきたJR北浦和駅東側の線路脇の路上(目前を寝台特急カシオペア(Cassiopeia)が札幌に向かって走り抜けていきました)からのアップでした。
[5回]
PR